前回の場所から県道に戻って北東へ。南大島川を越えて湯ヶ洞街道への分岐のそばに、武陵地第1号墳がある。
目立つ看板には「長野県宝 富本銭出土古墳 秋葉塔の塚(武陵地1号古墳)」とあった。
「入口」の表示あり。
詳しい説明板も。
文化財の種類及び名称:高森町有形文化財 秋葉塔の塚(武陵地第1号墳)
指定年月日:平成7年2月9日
指定の理由:古墳時代後期 横穴式円墳1基
高森町内には、古墳時代後期の横穴式円墳は多数現存するが、石室内部がほとんど完全な形で残存し、朱塗りの痕跡が、認められるものは、この1基のみである。
説明事項:所有者 高森町下市田 ・・・・
埋葬者は不明。
墳丘の高さ4.0m、直径16.9m、頂上は径6.2m。
石室の奥行9.09m、羨道口1.15m、玄室2.15m、石室の高さ2.5~2.9mである。ここからの出土品は須恵器・切羽(せっぱ)・鞖(しおで)・富本銭等あり、町の資料館に収蔵されている。
その他参考となる事項:頂上には秋葉大権現(寛政元年)、金毘羅大権現(天保九年) 蚕玉大明神(嘉衛四年)
高森町教育委員会
切羽とは詰まったら刀が抜けなくなる、日本刀の鍔の両面に添える薄い楕円形の金物。
鞖(しおで)は四緒手とも書く馬具の名で、胸繋 (むながい))と尻繋 (しりがい)を留めるために鞍の前後左右4か所につけた、金物の輪を入れたひものことだそう。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/94046/meaning/m0u/
大きく開口する迫力の石室。ただ残念なことに石室前に柵が…
大きな石が3段に積まれている。
しゃがんでフラッシュで。天井石も大きい。
奥壁の石の間はセメントで補修されている。
入口付近の側壁。
冊子「飯田は古墳の博物館」には下記が見どころとして記されている。
平成11年1月、奈良県飛鳥池遺跡から富本銭が出土したとの新聞記事を見た古墳地権者の方が、「うちの塚から出たものと一緒じゃないか」の一言から一躍有名になった古墳です。富本銭は古墳が造られた時に副葬されたものではなく、後の追葬で納められたものです。
墳頂に並ぶ石塔。
湯ヶ洞街道との分岐に戻って武陵地6号墳へ向かう。その分岐には手厚く守られた地蔵様がおられた。
日限(ひぎり)地蔵といわれ、春秋には盛大なお祭りがあるそう。
雰囲気のあるコンクリ橋を渡って登っていくと…
武陵地6号墳。
すっかり墓地になっていて、古墳を示す表示は無いが、道は墳裾のカーブに沿っているようだった。
湯ヶ洞街道を少し登って左折、南大島川を南に渡って下っていくと畦地下古墳がある。
現地表示は無いが、きれいに残る墳丘。
墳頂には「秋葉神社」の石碑(ただし秋の字の、つくりとへんが左右逆)
振り返ると、天竜川の対岸まで見通せる眺めがあった。
西側の様子。
道に戻って振り返った墳丘。
武陵地6号墳、畦地下古墳の位置は、ぺんさんのサイト地図のお世話になりました。
http://pennihonshi.blog.fc2.com/blog-entry-901.html
その先の分岐で。「畦地2号墳」の方から下ってきたので、それは畦地下古墳を示すのだろう。
「畦地1号墳」とある方向へ進みだすと、すぐに墳丘が見えてきた。
つづく。