墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

夏目坂~来迎寺の庚申塔~感通寺 東京都新宿区喜久井町

少し前、木組み博物館へ行った際に、早稲田駅前の交差点から夏目坂通りを歩いた。

早稲田通りの交差点から南東に上る夏目坂。

坂下の標柱。平成29年3月に更新されたばかり。

夏目坂(なつめざか)
夏目漱石の随筆「硝子戸の中」(大正4年)によると、漱石の父でこのあたりの名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を付けて呼んでいたものが人々に広まり、やがてこう呼ばれ、地図にものるようになったという。

自分の名前を坂につけてそれを広めてしまったとは、漱石の父もかなりの影響力を持つ人だったか。

 

坂下を振り返って。

 

坂の中腹の標柱。

 

坂上近くで通りに面した西側にあった来迎寺。参道の雰囲気に惹かれて参詣。

 

江戸初期の庚申塔が立っていた。

 

その説明板。

新宿区指定有形民俗文化財
来迎寺の庚申塔
所在地:新宿区喜久井町46番地 指定年月日:昭和59年7月6日
延宝4ね(1676)に造立された板碑型の庚申塔である。
石質は極めて固い玄武岩で、高さは120cm、上部左右に日月を配し、中央岩座に三猿、下部に対面した雌雄の鶏が浮彫りされ、江戸時代前半の庚申塔の特色を示している。
向かって左には、「延宝四年丙辰九月十六日川田久保」と、右には「武州湯原郡牛込馬場下町」の文字が掘り込まれており、川田久保(現在の市谷柳町)と馬場下町(現在の喜久井町)の庚申講によって奉納されたことがわかる。
中世には荏原郡に属していた馬場下町は、江戸時代には豊島郡に属した。湯原郡とは荏原郡を指すと思われるが、江戸時代の製作である庚申塔に、馬場下町荏原郡とされた理由は不明である。
平成29年3月30日 新宿区教育委員会

 

延宝四年の文字のアップ。

 

石段の上に本堂。

 

坂上側の標柱。坂下側方向。

 

その先で道は二差路に。坂は終わっているが夏目坂通りは南(右側)の若松町交差点まで続いていた。

 

二差路に面して堂々とした山門があった。

 

感通寺の境内だった。左は竹駒稲荷尊。

 

右手、池のある庭園の先に観音像があった。「喜久井町観音」

 

観音の造立縁起には、激しい空襲を受けて地下壕で300人以上が亡くなったことを鎮魂すると記されていた。

 

庚申塔が集められた一画もあった。