前回のつづき。
皇居東御苑を北桔橋門から出て日没まで少し時間があったので、千鳥ヶ淵砲台跡を訪ねてみた。
最初は地図を見ず、間違えて北の丸公園の武道館の方へ行ってしまった。前に本で知って千鳥ヶ淵沿いの北の丸公園内にあったと記憶していたので。
近代美術館工芸館の横を通って千鳥ヶ淵に沿って北へ歩いた。
次第に山深い雰囲気になって滝も現れた。
春は桜の名所になる千鳥ヶ淵。
イタリア文化会館の赤い建物。
千鳥ヶ淵沿いが標高が高くなっていて、東側に下りの傾斜がついていた。
赤と緑の対比が見事な場所があった。
あちこち探しながら広場に出て、ここで道を間違えたことに気づく。グーグルマップを見ると目的地は、北の丸公園といっても千鳥ヶ淵の南岸、吹上御所に沿った道の北側に細長く伸びたエリアだった。
北の丸公園を再び南へ縦断して工芸館の前を通る。
赤煉瓦の美しい建物。
明治43(1910)年3月に陸軍技師田村鎮(やすし)が設計した近衛師団司令部庁舎。
首都高を越えて進んでいくと右手に土手が現れた。
土手上から見えた首都高。向かいの緑地は千鳥ヶ淵戦没者墓苑。
振り返って工芸館をズームで。
細い土手上を歩く。ここも北の丸公園の一部であった。
道の向こうは吹上御苑。
しばらく行った土手の幅が広くなったところに、丸い石のベンチが計7つ並んでいた。
この一つ一つが「九八式高射機関砲」の台座であった。
側面には昔のコンクリが現れている。
上には石が貼られているが、ところどころ元の面が現れている。
こちらの「遺跡遺構展示館」のサイトによれば、「九八式高射機関砲」は有効直線射程距離は1000m程度で、高々度から爆撃するB29には全く歯が立たなかったとのこと。
http://jshian.jp/moijan/ikou/tokyo/ikou-tokyo-konoe-aa.htm
砲台のある広場から降りたところ。そこから内堀通りの交差点のそば。
千鳥ヶ淵緑道から砲台跡があるあたりを遠望してみた。