少し前のエントリで都営新宿線曙橋駅辺りを辿ったが、その近隣の新宿歴史博物館へは昨年夏に訪ねて下書きのままとなっていた。これも、忘れかけているが忘れきらないうちに。
曙橋駅A4出口から案内表示に従って東へ進むと、200mほどで津の守坂の下に出る。
道路脇の標柱は、坂名の説明と博物館への案内を兼ねていた。
荒木町と三栄町の境を靖国通り手前までくだる坂である。別名を小栗坂ともいう。昔坂上の西脇に松平摂津の守の屋敷があったのでその名を略して津の守坂と称した。
上って振り返ったとこと。奥は防衛省。2車線道で昔風の情緒はない。
坂の途中の標柱。傾斜がわかりやすい。
坂上手前で左に入ると石畳の道となり、博物館まで続いていた。
昔の風景が埋め込まれたタイル(地下設備の蓋?)
右折して再び上ると左手に目的地があった。
なかなか大きな建物。
博物館前から防衛省。
博物館入口の前には、四谷見附橋高欄の一部が展示されていた。
大正2年(1913)に開通した四谷見附橋の欄干の一部。赤坂離宮と調和したネオ・バロック様式だったが、平成3年(1991)に付け替えられた。もとの姿は八王子市南大沢の長池公園に復元されているとのこと。
博物館は入場料一般300円。ぐるっとパスでも入場できる。
常設展示は古代、中世、近世、昭和のパートに分かれているが、江戸と昭和初期のパートが充実していた。撮影可のポイントが4ヶ所あった。
1つ目は内藤新宿のジオラマ。町並と南に並行した玉川上水を120分の1で推定復元している。
目線を下げると、賑わう音も聞こえてきそう。
説明板。
江戸四宿の一つ内藤新宿は、日本橋を起点とした甲州街道の最初の宿場です。はじめ下・上高井戸宿が最初の宿場でしたが、日本橋から4里(約15km)と遠いため、元禄11年(1698)江戸浅草阿部川町の名主喜兵衛(のち喜六)らが、茅野原だったこの辺りを開発しました。こうして日本橋から2里のところに宿場集落ができ町の一部が内藤家の屋敷地でしたので内藤新宿といわれました。
馬を曳く人、天秤棒をかつぐ人・・・
甲州街道(奥へ)と青梅街道(右へ)との分岐(追分)を北側から。
水番人の小屋の辺り。
大木戸の辺りを北側から。
ここは今も残る太宗寺。
2つ目の撮影ポイントは江戸期の商家。
漆喰壁や瓦屋根もしっかり復元されている。
ぴたっと嵌る2階の観音扉。
3つ目は都電と停留所。
昭和10年頃の「文化住宅」の再現。
出窓の内側は応接間。
玄関は引き戸。
食卓には鰻丼!
現物資料や写真資料なども充実した見どころの多い博物館だった。
ミュージアムショップも、オリジナル商品多し。
有料展示室の外側に、小田急3100形NSE車の運転席がある。
先頭車両に展望席を設けて2階に上げた運転席。実際に使用された部品で復元されている。
計器類はとてもシンプルだった。
シートに座ることもできる。
中庭もあった。
図録なども買い込んで、荷物を重くして博物館を後にした。
博物館の南側は整地工事中だった。
地上5階のマンションが平成30年6月完成予定。
三栄公園で左折し、電柱の無い整備された道を四ッ谷方向へ。
外堀通りに出た角は、大規模開発工事中だった。
四谷駅前地区市街地再開発事業で31階建てのマンション&オフィスの棟が2019年10月に竣工する予定。
囲いの透明部分から。
三栄公園からの道に面した持田製薬のビル前に、岡本太郎作品が置かれていた。