墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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天神社~さいかちの道(黒目川上流域)~小平霊園 東京都東久留米市柳窪

前回のつづき。

旧村野家を見学後、正門から左周りに進んでいくと天神橋の手前に天神社入口があった。

 

神社の反対側が下流方向。流れは黒目川支流。

 

その場の案内板によれば川に沿って北へ300m弱の三方橋まで散策路があった。その先の所沢街道まで2km近く続いているそう。次の機会で歩いてみたい。

この黒目川が北東に向かって流れていくと、朝霞の柊塚古墳の麓を通ることになる。

柊塚(ひいらぎづか)古墳(柊塚古墳歴史広場) 埼玉県朝霞市岡 - 墳丘からの眺め

古墳の主もここまで来たか。 

 

川に沿ったストレートの参道。

 

左手は奥に村野家の敷地があるはずだが深い森のよう。

 

突き当たって天神社に参拝し振り返ったところ。

 

境内には2つの説明板があった。

江戸・東京の農業 柳久保の小麦
麦は米とともに重要な主食作物であると同時に、味噌などの原料でもあり、かつて冬の東京の畑は一面が麦畑でした。
小麦の品種「柳久保」は、嘉永4年(1851)、現在の東久留米市柳窪の奥住又右衛門が、旅先から持ち帰った一穂の麦から生れたと言われます。
優良な小麦だったので評判になり、「又右衛門種」あるいは「柳久保小麦」と呼ばれ、東京各地や神奈川県など近隣県の農家でも栽培されました。
この麦からは良質の粉ができ、うどん用として大変人気がありました。また、麦の草丈が長いので、麦藁は農家の「わら屋根」にも利用された貴重な品種でした。
こうして、この麦は長い間栽培が続けられてきましたが、昭和17年でその姿は消えてしまいました。現在、柳久保のタネは農林水産省生物資源研究所に保管されています。
平成9年度JA東京グループ 農業協同組合法施行50周年記念事業 東京みらい農業協同組合

 

もう一枚。説明板だけ写して碑の方を撮っていなかった。

東久留米市指定文化財 柳窪4丁目15番 天神社
柳久保梅林の碑 史跡第2号
「柳窪里梅林之記」が刻まれていることから柳窪梅林の碑とよばれています。
この碑文は、江戸時代の安政4年(1857)に六所宮神主(府中の大国魂神社宮司)であった猿渡盛章が書いたもので、古い祠の傍らにあった「天神松」という老木が枯れるのを惜しんで、村人と梅林の植樹をしたことが記されています。そのなかには「来梅ノ荘の里」や「来梅川(くるめがわ)」という名が記されており、現在の地名を考えるうえで貴重な資料となっています。
裏面には「ちとせとて まつはかぎりのあるものを はるだにあらば はなはみてまし」という菅原道真が詠んだと伝えられる歌が梅沢敬典という書家の手によって書かれています。
東久留米市教育委員会

 

東・久留米の由来は”来る梅”でしたか。

東久留米市ホームページには由来について下記のように記されている。

明治22年(1889)に久留米村が誕生しましたが、その名称は市内を流れる「久留米川」から付けられたというのが一般的な説です。
現在の黒目川は、江戸時代の文献や石碑に「久留目川」・「来目川」・「来梅川」と書かれており、明治政府が編纂した『皇国地誌』には「久留米川」と記されています。
このように、普段親しまれていた川の名前が村名になるほど東久留米は水の豊かな場所なのです。

昭和45年(1970年)に市制が施行されますが、福岡県久留米市と行政的な混同を避けるためや、当時の町民から親しまれていた駅名の「東久留米」を希望する声も多く、現在の市名が決定されました。

 

神社からは橋を渡って左手に川を見ながら進む。

 

突き当たって左に再度川を渡ると、行きにも通った散策路”さいかちの道”に出た。

 

 行きに撮った写真。

 

 道の脇には黒目川の流れがあった。

 

さいかちの道の新青梅街道側入口。トイレも整備されている。川は通りをくぐって小平霊園を水源としている。

 

入口をすぐはいると、このようにワイルド。

 

案内板があるので安心して歩けるが。

小平霊園のさいかち窪を源流とし、埼玉県の新河岸川にながれる荒川水系の河川です。
かつて黒目川は雑木林や畑にかこまれた農村を流れる小川でした。親水化整備後も新青梅街道から三方橋にかけては、雑木林に囲まれ、豊かな自然環境が保護されており当時の面影を残しています。また柳橋下流の「しんやま親水広場」は皮に親しむことのできる市民の憩いの場となっています。(黒目川上流域は新青梅街道から所沢街道までの2.3kmの区間です) 

 

幅広い新青梅街道を渡って小平霊園へ。霊園の一画に林があり、水源のような窪みもあった。

 

雑木林にも「さいかち窪」との名がつく。

 

迷うほど広くはないが、迷いそうになる”深さ”があった。

 

無事に墓地に出た(奥の白い標柱の右)

小平霊園も、この森のあたりまでの部分は東久留米市になる(さらに霊園の西半分は東村山市)

 

霊園の松並木。

 

川瀬巴水の版画に出てきそうな一本松。

 

先ほどの森を振り返って。

 

色づくイチョウ。

 

こちらはケヤキ。

 霊園入口から約400m、5分ほどで小平駅に到着した。