前回のつづき。
須曽蝦夷穴古墳を見学した後、こちらの「蝦夷穴歴史センター」を訪ねた。
入館料は一般100円。
毎週火・水曜日(祝日の翌日も)と冬期(11月21日~3月19日)が休館となる。
公式サイト蝦夷穴歴史センター/七尾市には下記の案内があった。
須曽蝦夷穴古墳から出土した須恵器、太刀や鉄鏃などをはじめ、能登島の遺跡から出土した考古資料を大型パネルによって解説。さらに七尾湾で昭和初期に活躍した五枚舟と呼ばれる伝馬舟を復元したものや漁具などを展示しています。
梁が立派な建物の大きな一部屋が展示室。
このときは古墳も資料館も他に訪問者はいなかった。
能登島には縄文・弥生から古代・中世にかけての遺跡が多く所在する。
古墳時代の製塩土器のレプリカ。
能登島には5世紀代からの土器製塩遺跡がある。
須曽蝦夷穴古墳の大きな解説パネル。
隅三角持ち送り式天井(ドーム式天井)は、天井の四隅から斜めに部材を積み重ねて最後に天井全体を覆う構築技法で中央アジアで発生したと考えられるそうだ。
1994年の解体調査時の写真も展示されていた。
正面から見た雄穴と、下の写真は上から見た玄室天井石材の配置状況。
羨道天井石の調査状況。
七尾湾上空からの写真(赤い矢印)
雌穴出土の円頭大刀装具など。
雌穴から出土した「ほぞ孔鉄斧」の解説があったが現物は展示されていなかった。
ほぞ孔鉄斧は、鉄製斧頭の一形式で、斧の頭部側面に貫通するほぞ孔を設け、ほぞを取り付けたもので、その形状は現在のヨキに近いものです。
本古墳の例は、ほぞ孔鉄斧の中では小型の部類に入り、刃部の先端が広がらないのが特徴です。また小形であることから、樹木の伐採具ではなく、木材の加工具と考えられます。
ほぞ孔鉄斧は、全国で4例のみの確認にとどまり類例の少ない遺物です。いずれも古墳時代中期(5世紀後半)の古墳から出土しており、蝦夷穴古墳のように終末期古墳(7世紀中頃)からの出土は初例で、極めて貴重な資料といえます。
こちらも発掘調査パネルと出土物。
雌穴出土の須恵器。
砥石も副葬されていた。
こちらの「須曽蝦夷穴古墳の調査史」が面白かった。
江戸時代の文献にも書かれ、明治時代には坪井正五郎も調査に訪れた古墳だった。
古墳のある丘陵から下りて能登大橋へ戻る途中、田と湾の景色がきれいだったので車を停めて撮った。
エントリを書くのに情報検索していたら、こちらのレポートに行き当たりました。
この本の著者で帽子作家の方。自分も最近は「ひとり古墳部」が多いです。
雨の宮古墳群も探訪されていました。
自分と全く同じような構図の写真があって驚きました。
つづく。