前回のつづき。
アクセサリーミュージアムを訪ねようと祐天寺駅の西口側をグーグルマップの指示に従って歩いていたら素敵な小道に誘われた。あとで旧蛇崩川支流跡とわかった。
手前の道は祐天寺からのバスも通る。
川跡は対岸にも、東横線高架の方まで上流が続いていたが、このときはここから見るだけとした。
下流側へ住宅街の中を進んだ。
右へ左へと折れ曲がりながら続く。
草の勢いが激しいコーナー。
踏み切りのように交差路が現れる。
交差路でちらりと横を見ると、高低差が認識できた。
ところどころで地中を流れる水の音がした。
その先、左にかつての護岸のような石が残っていた。
低い視点で。
道の先はなぜか上り坂。坂を上がったところにアクセサリーミュージアムがある。
新しい坂道をつけたときに盛土があったようで、暗渠は道を横断して続いていた。
不思議なオブジェがあった。
オブジェについていた「蛇崩川支流緑道」のサイン。
「緑道」エリアには敷石や植木が整備されていた。
振り返ったところ。マンホールの蓋と敷石模様が渾然一体となっていた。
昔からそこにあったような雰囲気の壁。
こちらも草木の勢いがよかった。
緑道の下流側出入口にもオブジェがあった。かつて開渠だったときの躯体だろうか。
道を横断した先は階段路があった。
味わい深いダブル仕様。
その先で道は突き当たりT字路になったが、見回すと「この先階段あり」の表示があった。
すぐに階段が現れるがここもT字路。
ここも緩くカーブを描く川跡のような小道だったが、右を見ると低い位置の建物があった。
蛇崩川の本流の暗渠だった。「川端橋」の欄干越しに下流方向。
川が削った段差が活かされた公園。
暗渠となった川から見た川端橋。
橋のたもとに説明板があった。
蛇崩川と佐藤佐太郎
この緑道は蛇崩川の上に作られています。
蛇崩川は、世田谷区弦巻付近に源を発し、中目黒駅付近で目黒川に合流しています。かつては大変な暴れ川で谷も深く、古老の話によると、烏森神社あたりでは千尋の谷にようだった、とあります。このあたり一帯の旧地名でもあった「蛇崩」の名は、川が蛇のようにうねって流れていたから、とか、両岸を深く浸食しそこに土砂が崩れていたから、との説があります。
昭和48年に完成した暗渠化工事で、この川は散歩道に生まれ変わりました。
昭和46年からこの地に住んだ、戦後歌壇を代表する歌人で芸術院会員であった佐藤佐太郎(明治42年~昭和62年、歌誌「歩道」創刊主宰)は晩年よくここを散歩し、蛇崩の地にちなんだ多くの作品を残しました。佐藤佐太郎の歌は自然や日常生活・心象などの核心を突いた作風で知られていますが、この蛇崩の歌はそれらの完成した一つの極致を示している、といわれています。
平成10年10月 目黒区教育委員会桜の歌
蛇崩の道の桜はさきそめて今日往路より帰路花多し
わらのゆく蛇崩道に桜さく頃杖をもつ四年の歩み
桜散る昨日も今日も伴はむ連なき一人蛇崩をゆく
昭和53年4月也 佐藤佐太郎
つづく。