前回のつづき。
那覇まちま~いで小禄の裏道を巡った後、出発便まで、もう少し時間があったので、ゆいレールの一日乗車券を活用して首里金城(きんじょう)町の石畳道へ行ってみた。
午前のまちま~いで歩いた真珠道の起点にあたるところ。
首里駅からは歩くと15分とスマホに出たのでタクシーを利用した。
首里城の南側の細道を抜けて赤マルソウ通りを行くと石畳道の入口がある。
一歩石畳道に入ると、いきなり時間を遡ったように。
路面の石畳だけでなく左右の石垣も見事。どちらも琉球石灰岩で石畳は「乱れ敷き」、石垣は「あいかた積み」という手法になるそう。
さすがにメジャーな場所なので観光客は多い。外国の方が多かった。
辻々には石敢當(いしがんとう)が立つ。看板や案内板は抑制がよく効いている。
首里金城町石畳道 - Wikipediaには下記のように書かれていた。
首里城から国場川の真玉橋に至る長さ4km総延長10kmの官道であった真珠道の一部で、琉球王国尚真王の治世である1522年にその建造が始まった。第二次世界大戦の沖縄戦で真珠道の大半は破壊されたが、金城町に現存する238mの区間が首里金城町石畳道としてその姿を現在に伝えている。
真珠道(まだまみち)は琉球王朝時代、宮城と港を結んでいた軍用道路。那覇まちま~いでも歩いたが、さすがに城の近くは規模が違う。こちらの道幅は約4m。
かつてはこのような石畳道があちこちにあったそうだが太平洋戦争でその多くが失われた。この場所は艦砲射撃の際に首里城の陰になっていたので奇跡的に石畳が残ったと言われているそうだ。
こちらの方のブログではルート全域が記されていた。
真珠道を往く(後編) - 沖縄B級ポータル - DEEokinawa(でぃーおきなわ)
金城町石畳を下りていくと石畳の四辻があり、角に「金城(かなぐすく)の村屋(むらやー)」という休息所(町の公民館)があった。
村屋の前にはガジュマルの木。
結構な斜面に立っている。
村屋の隣には大きな井戸があった。
説明板もある。
金城大樋川(カナグシク ウフ フィージャー)
市指定史跡 1977(昭和52)年4月8日指定
金城大樋川は金城村の共同井戸で、急ながけの下から2つのかけ樋で地下水を導き出しています。その前には約10㎡ほどの石積みを施し、半月型の貯水池を設けています。さらにその前には石敷きの広場がつくられ、南側には排水溝があります。樋川の周囲の3方は、土留めの石積みがなされ、特に背後は4段にわけてがっちりと積まれています。
東側の集会所のところは、かつてフィージャーモーと呼ばれた広場で、坂道を上下する人馬が樋川の水で喉を潤し、一息入れた場所でした。また、広場から石畳道をはさんだ東側は、薩摩に学び沖縄で最初に和紙をすいた大見武筑登之親雲上(おおみたけちくどうんへーちん)の屋敷跡で、17世紀末ごろこの樋川の水で和紙がつくられたようです。
那覇市教育委員会
素晴らしい石積み。樋からは、量は少ないが水は流れていた。
井戸は石畳道から少し下がった場所にあるが、水路は石畳の下をくぐって下っていく。
井戸の前から西側。
四辻から南側。坂はさらに下っているが時間の関係で次の機会とした。
来た道を登る。傾斜を実感する。
緩いカーブが心地よい。
途中の枝道。
メインルートにも階段がある。
途中で「天然記念物大アカギ」へのサインがあったので寄ってみた。横道に入ると花々が美しい住宅街。
(手前の紫は「ヤハズカズラ」のはずです)
そこを抜けていくと林の中にヌッと巨木が現れた。
市と地元有志による説明板。
首里金城の大アカギ
内金城嶽境内には推定樹齢200年以上と思われるアカギの大木が6本生育しています。樹高は約20mで、樹幹にはホウビカンジュ・ハブカズラ・シマオオタニワタリ・クワズイモ・ハマイヌビワなどが着生したいます。
アカギは琉球列島・熱帯アジア・ポリネシア・オーストラリアなどに分布するトウダイグサ科の樹木です。沖縄県内では普通に見られる樹木ですが、このような大木群が人里に見られるのは内金城嶽境内だけです。第二次大戦前までは首里城内及び域外周辺にもこのようなアカギの大木が生育していましたが、戦争でほとんど消失してしまいました。
沖縄県教育委員会 那覇市教育委員会
琉球国由来記やその他の史書によると340余年前、豊かな森だったこの辺りで村人が通る度に霊気を感じるので、これはただごとではないと時の王府に願い出て拝所を置き、神々と王府との交流の場となる。
王府解体後は個人信仰にゆだねられています。
確かに存在感があり、木からの視線が感じられるような気がした。
年にひとつだけ願いを聞いてくれるとのことだった。
天然記念物 首里金城の大アカギの碑は、赤マルソウ通り沿いに立っていた。
赤マルソウ通りを越えてさらに首里城へと上る石畳道。
かなり高度も上がってきた。
鬱蒼としてきた上り道。
やっぱりあったこのサイン。
日本の道100選の碑があった。
石畳道は首里城南の入口に到達。首里城に沿った道沿いを首里駅まで歩いた。
こちらの道沿いにも井戸が点在していた。
曲面が美しい首里城の石垣。
門は首里城裏門にあたる継世門(けいせいもん)
以下は首里城公園の首里城公園の公式サイト より。
継世門は首里城の東側の門で、いわば裏門である。この継世門は外郭の門で、別名「すえつぎ御門(うじょう)」という。
門の両側には2基の石碑が建てられていて、当時猛威を振るっていた倭寇に備え、1544年に建てられたという主旨のことが書かれていた。
門は1998年(平成10)に復元された。
那覇まちま~いにも石畳道を歩くコースが設定されているので、次の機会には参加してみたい。