前回のつづき。
小禄(おろく)エリアでもっとも小高い森口公園を後にして、丘陵の南西側へ降りていった。
4月中旬だったが花の道。
花の名前を聞いたはずだが忘れてしまった。
一行は風情のある石畳道に差し掛かった。
敷石は地元の石、といえば琉球石灰岩。
道沿いのお宅から30cmほどの豆?が伸びていた。
この石畳はノロが祭祀を行いに御嶽に登るための道で、カミミチ(神道)と呼ばれたそうだ。
ツアーで歩いた道はゆるく左右にくねっていたが、ガイドの方からその理由を問うクイズがあった。
城下町のような直角ではないので、自分は坂の傾斜を緩めるためではと思ったが、沖縄では平地の道でも直線路にすることを避ける傾向があるという。
それは魔除け目的とのことだった。
魔物が乗ってくる風を「やなかじ(嫌な風?)」というそうで、やなかじは直線を好み、直線道は一気にやってくるが曲がっていると角にぶつかりながらで力が削がれてしまうのだそうだ。
T字路や三叉路の正面に石敢當(いしがんどう)が置かれるのも、やなかじにさらされる面を守るためとのことだった。
石敢當 - Wikipediaにも「魔物は石敢當にあたると砕け散る」と書かれていた。
こちらは坂道の途中の空き地。自生の花畑になっていた。
さらに下ると駐車場のようなスペースの一隅に祠があった。
かつて小禄呑殿内(うるくぬんどぅんち)と呼ばれる屋敷があった場所で、小禄ノ口火之神(うるくのひぬかん)が祀られているとのことだった。
再び那覇の花。
森口公園から坂を下ってきた一行は、階段を降りて再び県道221号に出た。降りた階段を振り返って。
最後に県道沿いにある大きな亀甲墓を見学。 私的なお墓だが墓前は広場のようになっている。
「思い門中之墓」 という碑があった。門中(もんちゅう)とは沖縄県における始祖を同じくする父系の血縁集団のことで、お盆などに一族がここに集まって祖先祀りを執り行うそうだ。
お墓の入口はどこにあるのだろうと思ったら、正面の四角い穴は漆喰で塞がれていて、ここを一旦崩して追葬するそうだ。
お墓の周囲の斜面には水芭蕉に似た白い花が植わっていた。
ここでツアーは終了。参加費1000円で街の歴史や地理を実感できる素敵な「小旅行」でした。