墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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玉陵(たまうどぅん) 沖縄県那覇市首里金城町・繁多川

首里城見学後、その西隣にある玉陵を訪ねた。

(前回の真珠道とエントリが前後してしまいました)

 

観覧料300円を納めて敷地内へ。

 

その手前にあった説明板。

玉陵
第二尚王家歴代の陵墓であるこの玉陵は、首里城への要路綾門大道に臨み東は天界寺に隣接するなど重要な位置にあります。
墓陵内は、琉球石灰岩の高い石垣によって囲まれ全ての庭には珊瑚砂利が敷き詰められています。
東室、中室、西室の三基に分かれた墓堂は、自然の岩盤をうがち外部を切石積の家型とした沖縄特有の形式をもつ墓陵といえます。中室は、洗骨までの間霊柩を安置するのに使用し(シルヒラシ)、東室には洗骨後の王および王妃、西室にはそれ以外の家族の遺骨を安置したと伝えられています。
また、前庭左側に西面して建つ「たまおどんのひのもん」(尚真王25、大明弘治14年、1501)には、陵墓にまつわる当時の事情が伝えられています。
その他墓頂にある雌雄の石獅子や墓室前の高欄などからも琉球文化の粋をしのぶことができます。
文化庁 沖縄県教育委員会 昭和62年3月

 

石垣の中央に門があり、その向こうに陵墓がある。

 

グーグルアースで見ると、周囲を樹林で囲まれた様子がよくわかる。

 

広場の先に、もうひとつ門が。

 

広場と門をパノラマで。

 

 2つ目の門をくぐる。

 

正面に中室。

 

その右に、王と王妃が眠る東室。

 

王・王妃以外の家族が眠る西室。

 

左から東室、中室、西室。屋根があるので建物のようにみえるが、自然地形を生かしているとのことなので、基本的には横穴墓。

 

資料館に墓室平面図があった。

 

模型でも。

 

想像以上に多くの人物の遺骨が納められていた。

 

那覇市のサイトには全体のつくりが、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっているとあった。

沖縄戦で大きな被害を受けたが、1974年から3年以上かけて修復工事が行われ、往時の姿を取り戻しているそう。
世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成要素の一つ。

 https://www.city.naha.okinawa.jp/kankou/bunkazai/tamaudun.html

 

軒や高欄の表現。

 

近づくと見えないが、円筒(円柱?)の上にはシーサーが載っている。

 

玉陵の東縁の道を下って、今度は識名園を目指す。徒歩30分の距離。