前回のつづき。
増上寺の参拝後に、南側に隣接する芝丸山古墳を再訪した。
都立芝公園の案内図、下が北。中央が増上寺で、その上の「港区芝公園」の右上の緑に古墳がある。
保育園の子供たちで賑わう芝公園。奥の森が古墳。
東京タワーの足元に都内最大級・106mの前方後円墳が眠っている。
古墳に興味を持つ前は全く知らなかった。
前回来てから2年以上も経っていた。ブログを書くと時の経つのが速くなる?
下記は説明板より。
東京都指定史跡 芝丸山古墳
全長106m前後、後円部径約64m、前方部前端幅約40m、くびれ部幅約22mほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高約16mの台地端に位置し、前方部を南南西に向けている。
江戸時代以降、原形はかなり損じられており、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治31年に、日本考古学の先駆者坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は失われており、遺体や副葬品なども不明である。なお、埴輪を伴うことは知られている。
前方部が狭く低い形態や、占地状態などから5世紀代の築造とみられており、そのころ、付近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた、南武蔵の族長の墓だったと考えられる。
平成2年12月27日再建 東京都教育委員会
公園広場側から後円部への上り口。「前方部を南南西に向けている」ので、後円部は北北東を向いていることになる。
10数メートルの比高差の石段を上がると後円部の墳丘上に出る。後円部直径(基壇?)が64mとあったが墳頂広場はかなり広い。カーブに沿って円筒埴輪のように腰掛けが並んでいる。
後円部中央に建つ「伊能忠敬測地遺功表」
なぜここに、と思ったが伊能忠敬の測量の起点がここに近い高輪の大木戸だったので東京地学協会が建てたのだそう。
大木戸はこの夏に見たが、南に2kmほども離れている。なぜ墳丘の上に・・・
写真には写らなかったが、後円部から大木の枝葉を透かした後ろにプリンスのタワーホテルが聳えていた。
後円部からくびれ部。明瞭にくびれている。
前方部から後円部。後円部の方が石段数段分高くなっている。
前方部の先端。急な石段を降りて高低差を味わった。
※追記 ちょうど1年後にも訪ねました。