「塔の家」の回のつづき。
「塔の家」の手前で外苑西通りから小道に入り、住宅街を右へ左へと行くと、熊野神社があった。
正面ガラス扉の立派な拝殿。
東京都神社庁のサイトによれば「植林、樹林の神様として、特に建設関係の方々に深く敬神の念を受けている」とあった。
神社西側の駐車場から。本殿も大きい。
神社西側に沿う道を北へ進むとゆるい下り坂になった。
面白い名前の坂。歩道に説明板があった。
勢揃坂(せいぞろいざか)
ここのゆるい勾配の坂を勢揃坂といい、渋谷区内に残っている古道のひとつです。
後三年の役ー永保3年(1083)に八幡太郎義家が奥州征伐にむかうとき、ここで軍勢を揃えて出陣していったといわれ、この名が残されております。
このとき従軍した武士のなかに、桓武平氏良文の嫡流にあたる秩父十郎武綱(渋谷氏等の祖)が参陣して、手柄をたてたという伝説があります。
真偽についてはもちろんわかりませんが、区内に伝わる源氏に関する伝説のひとつとして注目されます。渋谷区教育委員会
上の写真のすぐ右手を上ると都営住宅の工事中で行き止まり。
もう一つ先の右手の階段を上ると日影の多い小公園があった。住宅が工事中だからか人影はなし。左には墓地が見えた。
墓地のある場所は、龍巌禅寺とあった。
お寺の先は道が二股になっていて、右へ折れると団地の中になった。
都営霞ヶ丘アパートの敷地で、ここから新宿区。
団地の中の「外苑マーケット」は、のぼり旗が効果的に使われていた。
あとで調べたらデイリーポータルZで取り上げられていた場所だった。
上記の記事によれば2020オリンピックに向けて取り壊され、関連施設が建てられるようだ。
ふとんが干されている部屋もある。
連休最終日の午後だがあまり人影はなかった。住まわれている方より、自分のように外から入ってきてしまう人の方が多いのかも知れない。
かつての賑わいも想像できるような路。
建物の修繕は、しばらく止まっていた様子。
強い香りが漂っていた花。ジャスミンでしょうか。
霞ヶ丘アパートを抜けると、正面に明治公園。右手に日本青年館があり、取り壊しのための足場組みが始まっていた。
つづく。