墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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堀田坂・鉄砲坂・北条坂 渋谷区広尾・港区元麻布の界隈

渋谷区東の台地上に行った折、その界隈を歩いてみた。

恵比寿から山種美術館へ上って246号の南青山7丁目 へ抜ける道は途中から尾根道のようになり、東側は渋谷川支流が削った地形へ下りて行く。

 

右はもときた台地に上り返す道(行き止まり)

 

豪邸のあるエリア。

左手は今はマンションだが、かつては「羽澤ガーデン」の敷地で2005年に閉館した、ということをあとで知った。昔ここで桜の時期の宴会に参加した覚えがある。

 

住宅街を下るとかつての”いもり川”の跡になり、その先は階段になっていた。

渋谷川・古川の流域

 

さらに上にも階段。

 

階段横は更地になっていた。

 

上までのぼって振り返ったところ。

 

そのすぐ東側には、日本赤十字社医療センターが聳え立つ。

 

医療センターの隣には聖心女子大学の門。

 

医療センターの敷地には看護大学の立派な煉瓦門があった。 

 

医療センターの東は広尾ガーデンヒルズ。

 

六本木ヒルズ からよく見えるマンション群(2016/2)

 

背の高い街路樹が繁り、異国の雰囲気があった。

 

ガーデンヒルズの北辺の道は東へ堀田坂へとつながる。

ほったざか
江戸時代には、大名堀田家の下屋敷に向かって登る坂になっていた。 

 

パノラマで。

 

堀田坂の下り方向。

 

下から見た堀田坂。

坂を下りるとかつての笄川(こうがいがわ)の跡になる。 

 

川跡と並行して少し高くなった場所に外苑西通りがある。

 

外苑西通りを渡った先に鉄砲坂。

てっぽうざか
江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がついた。

 

鉄砲坂は下りの一方通行だった。

 

鉄砲坂上から振り返っての西方向。

 

鉄砲坂はそのまま北条坂へ続いていた。

ほうじょうざか

坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があったためにこの名がついた。

 

北条坂下から。

 

北条坂上から西方向を振り返って。

坂上は愛育病院前の交差点。

 

道を渡って麻布中・高の裏道を行くと中国大使館の裏門側に出た。

 

そのお隣はアラブイスラーム学院の入口。

 

さらにお寺をはさんだ隣には元麻布プレイスという住宅街の入口があった。

 

その斜め向かいは本光寺。

 

スロープを上って振り返ると六本木ヒルズとマンション棟が見えた。

 

本光寺の先はX字の斜め十字路。

 

と思ったらもう一本道、魅力的な小道が隠れていた。

 つづく。