墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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青屋神社 府中誉 富田北向十一面観音堂 茨城県石岡市

前回のつづき。

常陸国総社の参拝後、車を停めていた市民会館に戻った。

斜め向かいにあった見事な煉瓦塀。内側は月極駐車場になっていた。

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石岡小学校の北隣り、50mほど離れた所に小さな社があった。

・青屋神社

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詳細な説明板も設置されていた。

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青屋神社

所在地 石岡市総社1丁目4番

常陸国司は、都から着任すると鹿島社に参拝するのがならわしであった。国司が鹿島社に参拝するには、高浜から船で行くのが順路であったが、荒天で出航不能のときは、高浜のなぎさにススキ、マコモ、ヨシなどで青屋(仮屋)をつくり、そこから鹿島社を遥拝し参拝にかえたという。これが青屋祭の起こりといわれている。

中世の青屋祭は、府中總社の宮祭の一つとして高浜神社、大洗磯前神社、鹿島社などの津で、霞ヶ浦と鹿島灘の航海の安全と水産物の豊穣を祈願するため行われた。

近世の青屋祭神事は、青屋の馬場といわれるこのあたりで行われた。深夜、2人の者が青ススキ、細竹で青屋をつくる。神拝は、公家装束の税所氏と健児所(小仁所)氏が侍姿の大勢の供をつれて参拝する。この間、馬場では神馬を走らせた。神拝が終わると税所氏と健児氏は高浜に移り、高浜神社に参拝した。

◇大掾氏との関わり

鹿島社の神事と関係の深い青屋祭といわれる祭礼の執行は、大掾氏の重要な任務の一つだった。祭祀は税所氏が引き継ぎ明治期まで及んだ。ちなみに税所氏は第8代大掾資幹の末弟望幹の子忠成がその養子となり跡を継いでいる。

◇エピソード~奪われた水戸城

応永33年(1426)6月21日、第16代平満幹は、青屋祭を執行するため、一族を挙げて府中に赴いたが、これを好機とばかりに江戸通房が同23日に、大掾氏の拠点である水戸城を奪取するという事件が起きた。これは上杉氏憲(禅秀)の乱で満幹が禅秀に味方し、鎌倉公方足利持氏に弓を引いたことに対する処分の結果であるという説もある。満幹はその子慶松とともに、鎌倉雪の下で足利持氏によって暗殺されてしまった。

平成21年2月 石岡市教育委員会

はじめは霞ヶ浦を渡って鹿島神社への参拝だったものが、湖岸の高浜神社で済ますようになり、市中に出張所もできた、という感じでしょうか。「仕事」となると大変だったのでしょう。 

 

神社の隣に自然に還ろうとしている家があった。

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帰り道、市内のコンビニ(守木町国府公園入口前のファミリーマート)に立ち寄るついでに、そのそばの酒蔵と社を訪ねた。

県道118号の一本南の道を東に向かうと酒蔵が見えてくる。

・府中誉

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 安政元年(1854)創業の造り酒屋。仕込み水として使われている「府中六井」は、筑波山からの湧き水で、中軟水で鉄分を含まない酒造りに適した良水として知られている。幻の酒米「渡船」を原料米とした「渡舟(わたりぶね)」を始めとして、季節限定出荷の「太平海」、代表銘柄の「府中誉」が造られている。(中略)

長屋門は、明治初期の建築。主屋の北東方に位置し、敷地北面の街路に沿って東南棟で建つ。かつて府中の玄関口であった幸町の見附門を模したと伝えられる。(後略)

 堂々とした蔵。

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府中誉長屋門

屋根下の壁がせり出していて独特の形をしている。

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ここで商品も買えるようだが、残念ながら休業日だった・・・

 

そのすぐ先には十一面観音を安置する富田北向観音堂があった。

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 以下は「石岡の歴史と文化」(石岡市教育委員会刊)より。

富田北向観音堂

北向観音(富田観音)堂は、もと常陸國總社宮の地内にあった神宮寺の観音堂として建てられたといわれている。元禄年間、神宮寺が現在地から北方50mの富田地内に移され、さらにその後、現在地に移ったことにより、観音堂もこの地に移築されたという。現在は、神宮そのものは存在せず、付近に神宮寺橋と称されている橋もかつてはあった。堂内には、十一面観世音菩薩像が安置されている。安産・子育て・厄除けの効き目があるといわれる本尊である。(中略)

毎年7月の第4日曜日には、護摩たき縁日として盛大に行われる。ご縁日とは観音様との縁を結ぶ日である。

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前にも紹介させていただいたこちらのブログによれば、9月中旬の例大祭でも御開帳がある模様。

富田北向観音 まほらにふく風に乗って

こちらの十一面様は、下記の若宮一丁目のものより小ぶりのようだが金箔で光り輝いている。

 

以上で、石岡編2ndシリーズ(4/29)終了です。

結局今年のGWは、これが一番の遠出旅行になりました。