墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

浅間山公園・浅間神社 東京都府中市若松町

府中市美術館で展示を見た後は、東に徒歩16分の浅間神社へ参拝した。

 

新小金井街道に出ると、すぐ東に巨大古墳のような丘が。

比高差30mなので、大仙古墳(仁徳天皇陵:後円部高さ35.8m)よりは若干低い。

 

山裾では梅がきれいに咲いていた。

 

青空バックの白梅。

 

紅梅も。

 

少し上がって振り返って。

 

裾を廻る散歩道に突き当り、左へ向かう。

 

その先にあった案内図。

 

ニッコウキスゲの変種・ムサシノキスゲの自生地で、5月中旬から下旬に咲くそうだ。

 

冬の陽だまりを、気持ちよく登った。

 

すぐに尾根筋に到達。この細長い丘陵が「前山」

 

その東側に「中山」がある。

 

きれいな声で鳴く鳥がいた。

 

中山山頂の様子。

 

さらに東に「堂山」が見える。

 

堂山では青年たちが足腰鍛錬中だった。

 

彼らが駆け上がった道を進む。

 

山頂には浅間神社(富士塚)

 

鳥居脇の説明板。

浅間山(せんげんやま)
浅間山は前山・中山・堂山の三つの小さな峰からなり、その名は堂山の頂に祀られている浅間神社に由来します。海抜80mで、周囲との高さの差は30mに過ぎませんが、周囲にさえぎるものがないため、眺望はなかなか良好です。
この浅間山は、地質的にみると、多摩川河岸の多摩丘陵と同じで、古多摩川やその他の河川により周囲がけずり取られ、ここだけが孤立丘として残ったものと考えられています。
また浅間山を中心に、その周辺に広がる人見ヶ原の地は、かつて南北朝時代の正平7年(1352)、足利尊氏と新田義興・義宗兄弟の軍が両朝の命運をかけてたたかった古戦場でもあり、都の旧跡に指定されています。
昭和60年1月 府中市教育委員会

 

山頂には二等三角点も。

 

 

塚上の祠に参拝。 

 

例祭日は4月1日。

 

山頂から北西方向。奥は国分寺駅前のタワー。

 

東側には多磨霊園が広がる。

 

多磨霊園側に渡る「きすげばし」

下は切り通した道路。

 

多磨霊園側にも丘陵があり、野鳥観察の方々を多くみかけた。

 

墓地から見た丘。

 

そのまま東に抜けて、西武多摩川線の多磨駅へ。

 

リニューアル工事が始まっていた。

 

一駅乗って白糸台駅で下車。

 

乗ってきた青と、すれ違いの黄色が並んだ。

 

多磨駅方向へ向かう黄色。

 

白糸台駅には車両基地もあって、赤系統の車両も見られた。