前回のつづき。
雑司が谷旧宣教師館から南へ、細道を歩いていくと塀に囲まれた日本女子大学の敷地があった。道を下って敷地内を見上げると、古そうな日本家屋が見えた。
検索したらこちらのブログに詳細がありました。
旧成瀬仁蔵(日本女子大創立者)住宅 (築明治34年・1901年)
開校時に教員住宅として建設されたが、実際には成瀬校長が1人で暮らし、その後4・5代目校長や英文学科の外国人教授などが住んでいたようだ。
さらにブログには、環状第4号線工事のために成瀬記念館の横に移築修復、2016夏公開予定という情報もあった。
完成したら訪ねたい。
その南側には黒塀の日本料理店。
一休でも高評価。ちょっと値段は張るが、その価値は十分ありそう。
住宅街を通って目白通りに出た。フェンス越しの目白台運動公園。
多目的広場、フットサルコート、テニスコートもある。
立派な桜並木も。
小さな子供が遊べるスペースもあった。円墳のような土盛もある。
その西側には「目白御殿」
さきほどの目白台運動公園も一部は田中邸の跡地だった。
目白通りの向かい側は、日本女子大目白キャンパス。木造建物は成瀬記念講堂。
文京区有形文化財、オリジナルは1906(明治39)年築、関東大震災を経た1924年に、内部の木骨トラスやステンドグラスに創建時部材を使用した形で再建されたそうだ。
さらに西へ。不忍通りとの分岐にある古い酒屋さん。
2階の看板が立派だった。
そして、この酒屋さんの西隣が、訪ねたかった坂道への入口だった。
少し下りると枝道がある。自転車のときは降りる前にブレーキの確認を。
いつもカバンに持ち歩いている本に写真入りで紹介されていて気になっていた坂。
左が日無坂(ひなしざか)、右が富士見坂。
先の「大江戸坂道探訪」75頁の日無坂の項より。
樹木が覆いかぶさり、日中でも日がささなかったのが坂道の由来。美しい竹垣と、古びた石塀の間を上がっていく。狭い石段を歩くと江戸にタイムスリップした気分だ。以前、坂上の邸宅に桜の古木があり、坂に彩りを添えていたが今は枯れてない。
富士見坂側から見た角地のお宅。
こちらが日無坂。自然にできたような石段が細く長く続き、手すりまである。
下から見上げたところ。日無坂は豊島区と文京区の区境でもある。
一旦坂下まで下り、富士見坂下に廻ると、ちょうど車が上っていくところだった(ズーム)
そこから富士見坂とは反対側、南に面影橋に出て都電に乗った。Rのきついカーブを通るときの風景の変化が楽しい。途中から多くの方が乗ってきた。
学習院前駅、鬼子母神前駅、都電雑司ヶ谷駅、大鳥神社の前を抜けて東池袋(四丁目)駅で有楽町線に乗り換えて帰途についた。