新潟での仕事があったので、合間の時間を最大活用させていただきました。
上越新幹線、高崎駅直前の西側車窓。雪をかぶった浅間山と高崎観音。
高崎駅を出て、長野(北陸)新幹線の分岐を過ぎてすぐ、保渡田古墳群が見えた。
この手前で速度が上がるので、ズームで撮るのが難しい。
緑の二子山古墳だけ確認できた。
保渡田古墳群へ行ったのは、もう2年前。
越後湯沢駅のあたりは大雪。
長岡を過ぎると雪は全くなくなった。
正面奥は弥彦山。634mで東京スカイツリーと同じ高さ。
東京駅から2時間強で新潟駅に到着。最速(大宮のみ停車)だと1時間37分 。
17時までの時間で、昔からの知り合い(妻の友人)の家が宮司をされている諏訪神社を訪ねた。新潟大学医学部(大学病院)のすぐ近く。
が、タクシーの運転手さんは場所がわからなかった。グーグルマップを印刷していってよかった。付近に白山神社や護国神社という巨大な神社があるので目立たないのかも知れない。
が、この諏訪神社も、台地の裾に鎮座して厳かな気を発している。
以下は「諏訪神社の栞」からの転載(部分)
・新潟と寄居
ここは新潟の中枢部である。新潟の地名が起こる以前に砂丘の麓に戦国時代の落武者七部族が寄り集まり開拓を始めたので「寄居村」と称した。この子孫は現在25代目くらいであります。明治御一新にいち早く新潟町と合併した。西堀通りが地境であり、上流南西は関谷村が、北は日和浜が地境であった。
・諏訪神社
創立は寄居村開拓と共にであり、古書には新潟町の古社であると紹介されているが年代不詳。資料の一番古いのは江戸幕府長岡藩主三代目忠辰侯の「神田寄進状」が残っている。
・御祭神
建御名方神(たてみなかたのかみ)…古来開拓勇武の御神徳あり 大国主神の御子神(諏訪湖 糸魚川 翡翠 黒曜石 古代遺跡)
・社殿境内地
現在の社殿は明治41年の大火災後に建設。境内地は数回の街路区画整理ごとに縮小されて現在は720坪である。旧時代は「村社格」でありました。
・故事来歴
境内には相撲の土俵場や弓場あり、また祭礼時には仕掛け花火あり近郷近在に有名であった。萬代橋架橋を祝っての川開き花火は寄居村伝承の技術に始まり発展したものである。半農半漁の寄居村の名物は「寄居蕪」であり、寄居浜は新潟の海水浴場であり、海亀の生息地であり、鰯の漁場であったという。昭和時代初期に寄居浜で捕獲した海亀の甲羅が奉納してある。
清掃の行き届いた拝殿前。
拝殿から参道を振り返ったところ。
拝殿脇の気になる建物(何だったのか聞き忘れました)
諏訪大神の扁額。
諏訪神社の数は、実は新潟県が日本一多い(神社の数自体も日本一)ということを初めて知った。
その理由は「人力検索はてな」にも。2番目の回答が興味深かった。
諏訪神社の後は、メディアシップ(新潟日報新社屋)の展望台へ。
信濃川河口。正面は万代島の朱鷺メッセ(新潟コンベンションセンター)。タワーにはホテル日航新潟が入っている。
信濃川は、かつてロシアのウスリー川までつながっていた?
南東側。右奥が新潟駅。奥に雪山。
飯豊山だった。雄大な眺め。
眼下の萬代橋。築昭和4年の重要文化財。
みちナビ新潟 -重要文化財萬代橋の概要-【新潟国道事務所Website】
西側、遠くにうっすらと佐渡島も見えた。
佐渡島が西からの雪雲を受け止めるので、新潟市は雪が少ない。この冬も12月と1月に少し降っただけだったとのこと。越後湯沢の車窓を見て、靴をどうしようと思ったが杞憂だった。