三条塚古墳から県道157号に戻り、左を向くとすぐに小山がある。県道側には入り口はないが、「←九条塚古墳」の指示板のある小道で左折、周堤上の小道を回りこんでいくと民家の庭先に入り口があった。
入り口手前、手前が後円部、奥が前方部。
入り口には案内板が2枚ある。
・九条塚古墳 前方後円墳 墳丘103m 6世紀中葉
内裏塚古墳の次に古いが、100年近くの隔たりがある。横穴式石室の古墳としては千葉県最古。平面形態は、継体天皇の陵墓の可能性が強いと言われる大阪府高槻市今城塚古墳に近い企画をしている、とある。
後円部上の塚。これも石室石材ではないか・・・
後円部から前方部。
前方部から後円部も全く同じような絵。
前方の先、木々を通した風景もかろうじて見えるが、写すのは難しい。
もときた道を戻り、県道沿いから前方部。周溝には水がたまっていた。
古墳の名前の由来を知りたかったがわからなかった。三条と九条があるが現在の地名にはない(どちらも下飯野)
「内裏」もあるから、都に見立てて名前をつけたのだろうか。
次に稲荷山古墳に向かったが、歩きではちょっと遠いかも。稲荷山古墳から青堀駅まで戻るのも30分くらい歩く。案内板はとても助かる。
続く。