飯野神社。ガラス部分が大きくモダンな社殿。
左奥、祠の先が三条塚古墳になるが道はない。右の石碑前には小さな狛犬が3対も。
明治時代に近辺の多くの神社を合祀したので狛犬が多いそうだ(全部で7対+1)
社殿後ろ側から。本殿には立派な棟持柱がある。
こちらは旧本殿。
境内側から参道の桜並木。かつて本丸があった場所を突き抜けている。
平成8年の案内板。「飯野陣屋は飯野藩初代藩主・保科弾正忠正が慶安元年(1648年)に築造したもので明治維新に至るまで十代320年余りの間、藩主の居所でした。」とある。
かつての大手口のあたりからみた神社。
昭和42年の案内板。古いがわかりやすい内容。「元来陣屋とは軍営のことであるが、江戸時代には城を持つことが許されなかった小藩主の居所を称した。」
この案内板は石碑に囲まれていた。
石碑から外側の風景。かつての風景に近いのでは。
陣屋の敷地の外に出て、堀に沿ってもとの道に戻る。
上の写真、道の先の角に平成24年に出来たばかりの立派な説明版があった。地図部分は前回掲出。
日本三大陣屋は、他に長州徳山、越前敦賀にあったそうだが、現存しているのはここ上総飯野の陣屋だけだそうだ。
説明板の「現在地」の真後ろに「牢屋」とある。行ってみたら古墳だった。
・亀塚古墳 方墳 墳丘辺長38m 外周溝外辺長99m! 7世紀前葉
「埋葬施設は墳丘の南東側に開口する・・・横穴式石室である」とあるが、現地でこの文言に気がつかず、確認できなかった。
「なお、当古墳の外周溝の北東辺は、江戸時代に造営された飯野陣屋の外濠に再利用されていると見られ、濠が古墳に沿って屈曲している」
「また飯野陣屋の絵図面によれば、墳丘北東側には江戸時代に牢屋が存在しており、それによって墳丘の一部が削られている」
石室を牢屋にしていたら恐ろしいと思ったが、そうではなくてよかった。
墳丘からの眺め。高さ3.5m。家の2階より若干高いくらいか。
登り口で、飯籠塚古墳で見たトゲのある細い木に触れてしまった。要注意。
南東方向に、次に向かう九条塚古墳が見えた。
続く。