墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

おかん塚古墳 長野県飯田市松尾上溝 古墳と桜の飯田紀行(17)

前回の上溝天神塚古墳から、おかん塚古墳は西に100mほど。この地区には大きな石室を持つ古墳が集中するが、南北10kmにわたる飯田市古墳群のちょうど中間地点でもある。

国道151号を渡って枝道に入ると、住宅の間から土盛りが顔を出した。

 

道路を挟んで北西側から。

残っているのは後円部で、かつては手前に前方部が伸びていた。冊子「飯田は古墳の博物館」によれば昭和41年4月に土取り工事がなされ、そのときに横穴式石室(無袖式?)が発見されている。墳丘上の石碑は大正4年(1915)の建立で、前年に古墳を破壊から守ったことを記念しているそうだ。昭和の人には石碑がよく見えなかったのか・・・

 

南に向かって回り込むと石室が開口している。

 

斜面を下って入口へ。

 

開口部の梁の石はとても大きい。

 

入口脇に説明板。

国指定史跡 飯田古墳群
おかん塚古墳
平成28年(2016)10月3日指定
古墳形態:前方後円墳
墳丘長:20m(推定50m)
後円部:径14.5m・高さ6.1m
前方部:幅12.7m・高さ3.9m(消滅)
埋葬施設:横穴式石室
推定年代:6世紀後半

おかん塚古墳は、前方部が後世の開発で消滅してしまい、現在は後円部のみが残っています。墳丘主軸は東西方向を向いています。
埋葬施設は、後円部と前方部の両方に横穴式石室がありました。後円部の石室は、天井が高く、大形の花崗岩を用いた両袖式と呼ばれる形態で、石室入口からみて、玄室の両側が広くなっています。この形態は、畿内地方の影響を強く受けていると考えられています。
遺物は、後円部石室より鈴等、前方部石室より、鉄鏃・鹿角製の刀子。馬具・土師器片・須恵器片が出土しています。
平成29年(2017)3月 飯田市教育委員会

 

実測図のアップ。 

 

羨道と玄室が両側壁の平石によって区切られる「両袖式」

飯田市教育委員会の発行資料「おかん塚古墳」(2008年)によれば、石室全長10.6m。
玄室全長 4.55mで羨道全長が6mを超える(6.05m)

羨道は幅1.6mで、最大高1.9m。

 

両側に袖のある玄門の先には大きな玄室が。 

 

奥壁に近寄って。

 

奥壁に正対してフラッシュで。玄室の高さは3.4mにもなる。幅は奥壁側で3.5m。

 

下から天井石を見上げて。

 

奥壁前から玄門側・開口部。

 

 フラッシュで。羨道部寄りの玄室幅は3.25m。

 

奥壁前から玄門に向かって左側。 

 

同じく右側。

 

素晴らしい石室だった。

大正時代に守っていただいた方々に感謝。

 

墳丘に上がらせていただいて、石碑をそばから。

 

振り返っての南東側。

 

南側を見下ろすと開口部。

 

墳丘の表には水仙が植えられていた。