墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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姫塚古墳 長野県飯田市松尾上溝 古墳と桜の飯田紀行(15)

水佐代獅子塚古墳の見学後は、300mほど北の姫塚古墳へ。

 

マップに見える道を東側から回り込んで上がり、お墓と工場跡(?)を左に見ながら通り過ぎる。

 

すぐに姫塚古墳の墳丘に突き当たる。裾が四角く削られているがこちら側が後円部になる。

 

椿のカーペットを登っていく。

 

途中の石橋の下が石室入口だった。

 

隙間から覗き込んで。

 

下へ降りて、かがんで石橋の下へ。

 

進んでいくと広くなり、大きな河原石に囲まれた。

 

フラッシュで撮ると、1500年を経て残る赤色顔料が。

 

奥壁を間近から。

 

奥壁前から振り返って。

 

同じ位置からフラッシュで。

 

懐中電灯を忘れたので、その場では「赤」がわかりにくかったが。

 

築造当時は室内全体が真っ赤だったのだろうか。

 

現地の説明板。

国指定史跡 飯田古墳群
姫塚古墳
平成28年(2016)10月3日指定
古墳形態:前方後円墳
墳丘長:40m
後円部:径23.6m・高さ5.4m
前方部:幅23.6m・高さ5.2m
埋葬施設:横穴式石室
推定年代:6世紀前半
姫塚古墳は、墳丘裾部分が後世の開発で削られており、羨道入口周辺の石積みも後世のものとされています。墳丘主軸は東西方向を向いています。
埋葬施設は、後円部中程に横穴式石室があり、ほぼ南向きに開口しています。石室は河原石を積み上げて作られており、石室入口からみて、玄室の右側が広くなっている片袖式と呼ばれる形態に特徴があります。また、石室内部の壁面に赤色顔料が塗られており、現在も見ることができます。
遺物は七鈴鏡が前方部より享保年間(1716~1736)以前に出土したと伝えられています。
平成29年(2017)3月 飯田市教育委員会

 

墳丘の上へ。後円部上に社がある。その下が石室。

 

祠に参拝。

 

後円部上から前方部方向。

 

前方部上から後円部方向。

 

前方部上から南東側の眺め。

 

後円部の階段を下りて、看板が示す「姫塚コーポ」の方へ。

 

それらしき建物の脇から小道が。

 

次の目的地の上溝天神塚古墳の近くに出ることができた。

 

そこから振り返って。奥の竹林が姫塚古墳。