前回からの続き
神崎から車で南に降りて国道51号線を西に向かう。
成田空港の下をくぐるトンネルを抜けて、渋滞の成田市街を過ぎ、国道296号を経由して佐倉の町へ。京成佐倉駅から北に向かう道を途中で小道を左に折れる。
崖線上に沿って複数の神社がある。途中の八幡神社の道路脇のスペースに駐車させていただき、岩名神社(麻賀多神社?)に到着。すでに16:30になっていた。
神社の東側が、岩名天神前遺跡になっている。
細い案内柱に詳しい解説があった。
「昭和38年、耕作中に偶然発見された土器によって知られることとなった。関東地方の弥生時代において最古の段階に位置づけられる壷形土器の発見は注目を集め、同年明治大学による調査が実施された。調査の結果、天神前遺跡は弥生時代中期の墓地であり、遺体を埋葬、白骨化した後、洗骨し、再び壷やかめに埋納する「再葬墓」と呼ばれる特徴的な葬制が営まれていたことが明確になった。また、採集された遺物には縄文時代最終末の土器も含まれており、縄文時代後期以降も集落や貝塚が営まれていたことが明らかである。」
現在は台地上の公園となっている。時間帯のせいか誰もおらず閑散としていたが、何千年も人が暮らし続けて来た場所である。
公園のすぐ近く、200mくらい西の畑地の端に、山崎ひょうたん塚古墳があった。
夕暮れで逆光の「ひょうたん島」
道路沿いに案内板もあった。
・山崎ひょうたん塚古墳 前方後円墳 古墳時代前期(4世紀)全長40m
前方部の一部が崩壊しているため本来の全長は不明とのこと。
未調査で内部施設や副葬品は不明だが、前方部高さ4m、後円部高さ8mと高さの差が大きいことからの時代推定。
古墳の前に重機があった。周囲の木を伐採して整えていた。
後円部やくびれ部の側面の斜面はかなり急で、上れる古墳ではないと思ったが、前方部に回ると取り掛かりがあり、墳丘に上らせていただいた。
前方部から後円部。
後円部から前方部。比高差が大きい。
墳丘から南側の眺め。かつては印旛沼が台地下の田まで広がっていた。
北側の眺め。こちらも台地下方向。その向こう岸の台地上に岩名運動公園がある。
右方向には、さきほどの岩名天神前遺跡が続く。
佐倉は、台地と平地が複雑に入り組んでいる。中世城跡(本佐倉城、佐倉城)や武家屋敷、そして歴博もあって見所満載の町。
後円部下から。高さがあると迫力がある。
墳丘下の梅林も見事だった。
今回の探訪は以上でした。