古凍 (ふるごおり)古墳群は東松山の中心部から南東に伸びる舌状台地に、北西側から位置的には柏崎古墳群に隣り合って展開する。
北西端の柏崎12号墳から南東端の古凍20号墳まで約2.7㎞。
最初に南東端の古凍20号墳・根岸稲荷神社古墳へ向かった。北西から続く台地(写真右側)とは新江川によって分断されているが、地図をみるとかつてはつながっていたように思えた。
吉祥寺の駐車場に車を停めさせていただいて、北へ歩いて川沿いを回り込んだが、結局吉祥寺の真裏に戻ってくることに。
このあたりだけ島状に高くなっていて、その最高所が墳丘だった。標高21mで、東側に広がる田との比高差7mほど。
土の道を北へ進むと鳥居のある墳丘に至る。
根岸稲荷神社の祠。
祠の北側。
今回も、1年前に見た企画展から解説を。
実測図は右が北なので、上記の写真は後方部の右下角方向を向いている。
現在は後方部の先端側と前方部が消失しているが、築造当時は前方部を平野部、あるいは川を上ってくる人たちに向けた、全長25mの前方後方墳(前方後方形墳墓)だった。
上記の説明部分。 気になるところを太字にしました。
根岸稲荷神社古墳(東松山市)
根岸稲荷神社古墳は、松山台地東端の舌状台地上に位置しており、後方部幅約20m、前方部5m以上を測る前方後方墳と推測されています。
周溝からは比企地域在来の吉ヶ谷土器の系譜に連なる壺(底部焼成後穿孔)が出土した他、墳丘からは単口縁の壺が採集されています。
出土土器等から、築造時期は弥生から古墳へと時代が以降する3世紀代と考えられ、今のところ埼玉県内最古級の前方後方形墳墓ということになります。
同展では出土物も展示されていた。手前の2つの甕が根岸稲荷神社古墳出土。
墳丘から東側。
祠から南側を振り返って。
吉祥寺の境内ではイチョウの黄色がまぶしかった。