前回からの続き
大戸駅から成田方向に一駅行くと、下総神崎駅(こうざき)
駅から1kmの丘の上に中の城古墳がある。
古墳は神宮寺の裏手にある。大般若波羅密多経が、540巻も現存しているそうだ。
仁王門にも案内板があった。17世紀後半建立だが、造りの珍しい門とのこと。
赤い屋根がマッチしていて親しみ深い。
赤い格子が目立ちすぎて、仁王さまのパワーが門の外まで届かないような印象。
真新しい草履が沢山奉納されていた。
門の先に石段がある。梅の香りが漂う。
両側に手すりが整備された石段。
本堂(観音堂)正面。軒下の組み物が立派。
サイドから。軒が深い。
案内板。「向拝や外軸の複雑な架構は、江戸時代中期以降、特に関東地方の仏堂に多く用いられた形式であり、また外陣を吹放しとするのは大衆参詣の便宜をはかったものであり、時代の特徴をよく示している」そうだ。
神埼は舟運の拠点であり、かつては神埼神社とともに、参詣者で大賑わいだったのだろう。
観音堂の左奥に行き、スイッチバックのように登る(行き先表示あり)
上りきったところに巨木があった。斜面にあって近づけないがとにかく大きい。
巨木と反対側に、ひっそりと前方後円墳があった。
くびれ部にあるシンプルな表示板。
・中の城古墳 前方後円墳 全長の記載はないが、40mくらいか。
前方部下から後円部方向。
房総の古墳を歩くには、「墳丘はケヤキの杉に覆われて、雑草が茂っているので、思うように歩けない」とあるが、現状はきれいに草木が切り払われていて歩きやすい古墳だった。
北側の林も少し窓をあけて眺望がとれればもっと・・・
後円部から前方部。
墳丘から。真正面がさきほどの巨木。背中側がすぐに台地下になるが、木々で眺望はない。
墳丘上に落ちていた枝にうろこのようなきのこがびっしり。
前方部下にも表示板が。ここは神埼自然遊歩道のルート上になる。
自然遊歩道の案内板。神宮寺からの道は書かれていない。
前方部の先を下ると円形劇場のような「ふれあい広場」になる。
が、テーブルはしばらく使われた形跡がない。
ふれあい広場の横のあづまやからは、気持ちのよい眺望が得られる。
千葉県の観光紹介には「富士山も見える」とあった。
http://www.kanko.chuo.chiba.jp/kanko/1555/
↑きれいな前方後円墳がコース沿いにあるので、紹介に加えていただけたらと思う。
筑波山の方向。
神宮寺から中の城古墳への道の途中に、西の城貝塚への分岐表示があった。竹林の小道を進んでいくと、「わくわく西の城(旧神埼青年の家)」の敷地に出る。
その正面に貝塚を覆った施設があった。
・西の城貝塚 縄文時代早期初頭 約8000年前。土器や石斧、牙斧も出たそうだ。
施設は施錠されていて、外から写真をとったがよくわからず。
施設の横の、たわわに実った、はっさく?が気になった。
夏母(すも)古墳
貝塚から戻る途中、わくわく西の城の敷地内に気になるマウントがあった。
後から、夏母古墳(円墳)であることを知った。珍しい読み方だが由来はわからず。
神埼には、中の城、西の城と東の城もあるようだ。
このあたり、台地が分断されて独立丘が島のように点々としている。(その島のように、前回の仁井宿浅間神社や森戸大法寺のような古墳も目立っていたのだろう)
中の城古墳から1km北の利根川に近い丘に神埼神社がある。ちょうど、チーバ君のおでこのあたりになる。
この神社には一年前に訪れて、丘の麓にあった造り酒屋の寺田本家で「五人娘」を買った。とてもおいしかった。今回は休みだったので、近くの酒屋でまた買った。
続く(次で最後です)