前回のつづき、日立駅から4つ北の南中郷駅へ。
琵琶墓古墳は、事前にグーグルマップに「古墳」と入力し目星をつけていた。
南中郷駅にはタクシーがあった。日差しが強く、かつ現地までは徒歩23分とマップ出ていたので迷わず利用。
細い旧道を通って古墳のそばまで運んでいただいた。
全長43mの前方後円墳。手前が前方部、奥に後円部。
鞍部を横から。
後円部裾に説明板。
高萩市指定文化財 史跡
琵琶墓古墳
昭和52年11月8日指定
所在地:高萩市大字赤浜740番地
この古墳は、6世紀後半から7世紀初めに作られたものと考えられる前方後円墳で、長さが43m、幅が35mあり、高萩市内に現存する古墳の中で最大のものである。
三段構造の古墳であるが、周溝部は耕作のため破壊されている。ここから円筒埴輪の破片等が出土しており、埴輪列を有した古墳であり大きさ等からみて、赤浜台地の盟主的人物の古墳であったと考えられる。
平成3年3月 高萩市教育委員会
そこから振り返って。左の手前が後円部、奥が前方部。
後円部上に石碑が。
昭和5年の二十三夜講と大黒様の碑。昭和といっても90年近く前。
後円部から上がらせていただいた。斜面から前方部方向。
墳頂には祠も。
祠の裏側に回ると、さらに一つ石碑があった。
後円部から、その先の南西方向。
後円部から前方部を。
前方部上の石碑。
前方部から後円部
縦位置で。
前方部から北方向。
鞍部から東方向。民家の間に太平洋。
帰りは駅まで歩いた。魅力的な枝道を横目に見ながら。
願成寺への参道。
江戸期の漢学者・地理学者、長久保赤水(1717~1801)誕生地の石碑。
長久保赤水は、伊能忠敬(1745~1818)の実測地図ができる42年前、20余年の歳月をかけてこの赤浜の地で日本で初めて緯線と方角線を記した日本地図を作り大阪で発行(改正日本輿地路程全図:1779年)したそうだ。
伊能地図は明治時代になるまで国家機密とされたのに対し、赤水地図は明治時代までの約100年間に8版を数えるベストセラーになったとのこと。
http://www.city.takahagi.ibaraki.jp/page/page002920.html
右手の先に時々海が現れる。
枝道を入って海岸へ出てみた。
北側、五浦の方向。
南側。
振り返っての西側、歩いてきた枝道。
ビニールハウスの中は花盛り。
そこから南方向。海岸段丘の崖部分が樹木の帯になっている。
駅へ向かう旧道に戻って北へ。
いい雰囲気でカーブする。
道沿いでは太陽光パネルの設置中。自然エネルギーとはいえ、大変な自然破壊ではないか。
長久保赤水の墓への入口もあった。
現在の国道との分岐近くの立派なお宅。
行きに乗ったタクシーの運転手さんから、かつての武家屋敷と教えていただいた。
塀越しの敷地内には巨木が残っていた。