前回のつづき。
埒免古墳の見学後は三之宮郷土博物館に、その素晴らしい副葬品が展示されている登尾山(とおのやま)古墳を目指した。
ぶどう畑の斜面を下りてきて、栗原川を渡る。
橋のたもとに塞座大神と刻まれた石碑があった。
そこにあった「栗原ふれあいの里」のマップ。
周辺には桜やコスモスの名所があり、これから向かう場所はハイキングコースのようだった。
グーグルマップの表示を目指して進む。
正面に山が現れた。
小さな祠があるところで上り坂に。
「展望広場」への分岐。古墳へとつながっているように見えたので行ってみた。けもの除け鈴があったが、ここへ戻らないかも知れないので使わずに。
少し急ぎ足になって5分ほど登っていくと、ベンチのある展望台に出た。
標高は131.4m。写真には東京スカイツリーや房総半島の富山も示されていた。
が、この時そこまでは確認できなかった。
展望台の下は緑の斜面。
だが、古墳のある方への道は無かったので、鈴のあった分岐まで戻る。
分岐から南へ向かう。グーグルマップに道は出るものの、次第に草が繁茂
道が見えなくなりそうになってくる。このあたりでクモの巣をかぶった。
この時は5月だったが、6~10月での探訪は難しそう。
その先で道を左に曲った右側に石が出ていた。
登尾山古墳と刻まれている(のであろう)石碑が乗っている。
石碑のある場所から振り返って。墳丘は標高105mの尾根上に築かれているが眺望は無かった。
中に下りて石積みを。
パノラマで。
左が石碑、右が通ってきた小道。
昭和35年、この”農道”の改修時に偶然石組みが見つかり、神奈川県教育委員会と國學院大學が共同で調査した。関東地方には比較的少ない半地下式の横穴式石室をもつ円墳で、古墳時代後期(6世紀)頃の築造と考えられるそうだ。
見事な副葬品は三之宮郷土博物館で見られる(撮影不可)
博物館の解説には、古墳時代後期のステータスシンボルともいうべき銅鏡・銅鋺・装飾大刀・馬具が揃って副葬された例は相模で唯一の例で、相模国造の墳墓とする推定が有力となっているとあった。
http://hibita.jp/museum/collection.shtml
1300年を経てもほとんど錆びていない刀身は一見の価値あり。
一見地味な遺跡だが、それがまさにここから出たと思うととても感慨深かった。
伊勢原市のサイトにも写真と解説がある。
http://www.city.isehara.kanagawa.jp/bunkazai/docs/2014042300033/
帰路は東へ下る小道へ。細い踏み跡を辿った。
途中の斜面から見えた相模平野。
植えられたように生えていた草。
南側の眺め。遠くに高麗山、山裾には東名高速。
普通の道になってきた。
舗装された道に出て一息つく。表示板には「関東ふれあいの道」とあった。
山裾の道を北へ向かっていると、最初に登った展望台が見えた(画面中央)