王墓山古墳(おうぼさんこふん)は弥生期の楯築遺跡から400m南南東の、同じ丘陵上にある。
標高の高い部分を残し、周囲は住宅地として開発されている。
丘の西側に車道がついていて、墳丘脇の広場(駐車場?)まで車で上がることができた。
北西方向の眺め。左奥に山陽自動車道の橋梁が見えるが、その背後の丘の向こうに造山古墳がある(橋からは約1㎞)
上記の右、下記の中央の緑の丘の頂には楯築遺跡がある。
こちらの斜面下にグランドがあり、連絡階段がついていたので、この駐車場はグランド利用者向けのようだった。
駐車場の北東側に土盛りが。
階段を上がると、そのあたりは丘の北東側に突き出た岬のような地形になっていた。
振り返っての駐車場。
北東側は急斜面。
土盛りを少し下ります。
時計廻りに進みます。
地表には気になる石の破片が。
北東側から見上げて。
墳丘の南側に石棺た置かれ、覆い屋が架けられていた。
隣には、王墓山周辺古墳の精霊供養塔。
王墓山古墳の解説板もあった。
県指定史跡 王墓山(おうぼさん)古墳
昭和34年3月27日指定
古墳時代後期(6世紀後半頃)につくられた古墳である。かつての開墾や宅地造成などにより墳丘はかなり変形を受けているが、もともとは25m程度の規模をもつ円墳ないしは方墳と考えられる。
内部主体には横穴式石室を有していたが、石室は明治末期頃に石材として切り出されたといわれ、今は見ることができない。墳丘南東側に安置されている石棺は、この時に多量の副葬品とともに石室内から持ち出されたものである。
石棺は7枚の石を組み合わせた家形石棺で、石材には井原市浪形に産する貝殻石灰岩を用いている。同種の石棺を有する古墳は、総社市こうもり塚古墳など数例しか知られておらず、しかも有力な古墳に限られている。
出土遺物には、四仏四獣鏡をはじめ金銅製馬具・鉄製武具・装身具類・須恵器など多種多量の副葬品が知られており、それらは現在東京国立博物館に収蔵されている。
これらの豊富な副葬品や家形石棺の存在などから、王墓山古墳は、この地方においてかなり傑出した存在であったことがうかがえる。
倉敷市教育委員会
石棺を東側から。
西側から。
南側から。
北側から。
内部の様子。蓋の内側が削られていて広く感じられた。
駐車場の側から。最初は階段に気を取られて石棺に気づかなかった。
駐車場の南側に細長く残る樹林の中には、赤井西古墳群、池上古墳群、真宮古墳群、東谷古墳群に属する石室跡がいくつか残るが、時間の都合で次の機会とした。
かまどねこさんのサイトで見られます。
http://kamadoneco.blog122.fc2.com/blog-entry-3.html
東京に戻ってから、国立博物館の考古室へ行ってみると、王墓山古墳の出土品を見ることができた。
独立ケースに収まった画文帯仏獣鏡(四仏四獣鏡)
下記はその解説文。
画文帯仏獣鏡 岡山県倉敷市 王墓山古墳出土
古墳時代・6世紀(中国製・5世紀)
縁付近には禽獣・羽人・神仙が巡る画文帯、中心には仏像と霊獣が描かれています。5世紀の中国において、従来の神仙思想と、新しく隆盛した仏教とが融合してできた鏡です。同型の鏡は、愛知県大須二子山古墳や千葉県鶴巻塚古墳などで発見されています。
斜め後ろ、鏡の面の方から。
右は須恵器 高台付埦、左は須恵器 蓋坏(ふたつき)でどちらも王墓山古墳出土品。
王墓山古墳出土の鐘形杏葉。矢尾寅吉氏寄贈とあった。
杏葉(ぎょうよう)は、馬の腰のあたりを飾る馬具。