墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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船山古墳群 愛媛県西条市小松町新屋敷

今回、1泊で訪ねた伊予墳行の一日目は、高縄半島を一周しました。

松山空港で車を借りて、まずは半島の根元を東へ横断して西条市の船山(舟山)古墳群へ。

 

中山川が燧灘(ひうちなだ)に注ぐ河口近くの右岸、予讃線の伊予小松駅から1㎞ほど西の独立丘陵(船山)が三嶋神社の境内地となっていて、そこに船山古墳群があります。

 

4月8日、八重桜の散り際でした。

 

駐車場脇の説明板。

愛媛県指定 史跡
 船山古墳群(昭和37年11月1日指定)
西条市指定 工芸品
 一柳直卿の扁額「三島宮」
 一柳直卿石碑「三島新宮」
県指定史跡「船山古墳群」は、小松川の西岸に位置する東西300m、南北100m、高さ15mの扁平な丘陵に築造された古墳時代後期の群集墳である。丘陵は中央部がくびれ、かたちが船に似ていることから船山の名がある。
丘陵東部には三嶋神社が鎮座しており、西部の古墳群全体がその境内地となっている。嘉永7年(1854)三嶋神社が遷座した際、武器や勾玉、須恵器などが発掘されたことが「小松邑誌」に記録されている。かつて古墳は20基ほどあったとされるが、現在確認できるのは10基ほどである。
(後略)

 

もう一枚の説明板は「こまつみつみつマップ」

 

みつみつマップに「舟山」古墳群の説明もありました。

舟山古墳群(三嶋神社)
東西240m、南北100mの独立丘陵が舟山と呼ばれ、丘陵の西部に17基の古墳群が現存しています。東部の丘には三嶋神社がありますが、嘉永7年(1854)その造成に際し、巨大な古墳を掘り当てました。石棺、人骨のほか、武具・勾玉などの副葬品が出土し、のちに勾玉と管玉は東京国立博物館に納められました。西部丘陵にはこの古墳の霊をまつる花陵(はなおか)神社があります。東部の円墳と西部の群集墳の関係など、古墳築造方法を知るうえで貴重な史跡であるとともに県指定史跡となっています。

 

マップを改めてみると「大日裏山古墳」も載っていますね。ノーチェックでした。

 

石段を上がって。

 

そこで振り返って。

 

まずは三嶋神社に参拝。

 

後ろの本殿に回って。

二つ目の解説板にあるような「巨大な古墳」があったような痕跡はわかりませんでした。

 

本殿の後ろから丘陵の尾根道を西方向。

 

解説にある、古墳の霊をまつる花陵(はなおか)神社。


お参りして振り返った花絨毯。

 

その花の道の北側斜面に、群集墳が見られました。

 

立札などはありません。

 

解説板には「現在確認できるのは10基ほど」と。

 

となると、こちらは木の根の盛り上がりでしょう。

 

花陵神社を見上げて(右端)

 

丘陵の西端を降りていくと石碑もありましたが読めません(達筆で)


そのあたりから西方向の眺め。高縄山も見えるのでしょうか。

 

西端を降りたところには大型の石柱もありました。

 

グーグルマップのピンはここに合わせられていますが、このあたりには車は停められません。