墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

新豊院山古墳群 静岡県磐田市向笠竹之内

前回までの和田岡古墳群は掛川市にあったが、そこから袋井市を上部を横断して磐田市の古墳へ向かった。

最初の訪問地は新豊院山(しんぽういんやま)古墳群。

 

太田川を渡って「深見橋西」の信号待ちで。目指す古墳は正面の丘陵上にある。

太田川天竜川の数キロ東を平行して南へ流れ、原野谷川と合流して遠州灘へ注ぐ。

 

太田川の支流の敷地川のそばに、曹洞宗のお寺・新豊院があった。

道路に面して地元有志(?)による古墳の説明板がある。

国指定 新豊院山古墳群
昭和55年9月~57年3月。行われた発掘調査によると、新豊院山古墳群は弥生時代中期~後期の方形台状墓や土坑墓、土器棺、古墳時代前期に造られた県下最古の前方後円墳です。1号墳2号墳3号墳からなり、2号墳は4世紀中頃(約1650年前)に造られた全長34mの前方後円墳で、この地方を治めていた首長の墓と考えられています。古墳群からは中国製の吾作銘三角縁四神四獣鏡や剣、太刀、銅鏃(銅製の矢じり)などが出土しています。
(昭和62年7月 国の史跡に指定)2002年向笠史談会

 

その横の門から入る。古墳は正面の山の頂上に立地していた。 

 

進んでいくと古墳への案内板があったので迷わずにすんだ。「古墳群へ行く方は、新豊院に声を掛けてください」とも記されている。

 

外にいらしたお寺の方に声を掛けて、案内の矢印に従って本堂の裏側へ。

 

登り道の始まり。

 

谷筋の道を進む。

 

五輪塔の脇をとおる。

 

山道の雰囲気に。

 

頂上の墳丘の裾に「国指定史跡」の標柱と説明板があった。 

 

弥生時代から古墳時代の墳墓が、ひとつの尾根に並ぶ貴重な遺跡だった。

国指定史跡 新豊院山(しんぽういんやま)古墳群
昭和62年7月3日指定
弥生時代から古墳時代の墳墓群で、昭和55~56年度に発掘調査が行われました。西から、弥生時代中期から後期の土坑墓3基、古墳時代初頭の台状墓1基(3号墓)、古墳時代前期の前方後円墳2基(1・2号墳)などが分布しています。
ひとつの尾根上に様々な形式の墳墓があり、弥生時代から古墳時代前期にかけての墓制の移り変わりを知ることができる貴重な遺跡として、国の史跡に指定されました。
1号墳:尾根の東端に位置し、全長33mの前方後円墳ですが、部分的な調査であるため、前方後方墳の可能性もあります。
2号墳:全長28m、後円部の径17m、前方部の幅11mの前方後円墳です。後円部の中央に東西8.1m、南北5.6mの穴を築き、その中に礫(石)と粘土を交互に積んで遺体を納めた部屋を造っています。木棺があったと思われる付近から中国製の鏡、刀・剣・鉄鏃・銅鏃などが出土しています。中国製の鏡は、大和朝廷が有力豪族に分け与えたとされる、三角縁神獣鏡と呼ばれる青銅鏡です。
3号墓:平面が一辺12mの方形で、台状に形を整えた台状墓と呼ばれる墓です。中心部に遺体を納め、長さ2.2m、幅0.6mの木棺の痕跡が確認されており、土器や剣、鉄鏃(てつぞく:やじり)などが発見されています。
土坑墓:平面が2m×1mほどの長方形の穴を掘って遺体を埋めた墓です。
磐田市教育委員会文化財

三角縁神獣鏡(2号墳)
4人の神と4頭の獣が描かれていて、正式には「三角縁四神四獣鏡」と呼びます。下記の銘文が記されています。
「吾作竟自有紀 辟去不羊宜古市 上有東王父西王母 令人長命多孫子」(この鏡を持つ者は長命で子孫が繁栄するという意味の内容です)
平成18年3月設置

 

発掘調査時であれば40年近く前の空撮になる。 

 

磐田市観光協会のサイトにも、別角度から(北側から?)の航空写真がある。

http://kanko-iwata.jp/tanoshimu/tanoshimu-709/

 

実測図。説明板の立つ方向と90度ずれていたので、最初は3号墓(台状墓)を2号墳(前方後円墳)の後円部と誤解してしまった。

 

WEB上には、磐田市教育委員会による詳しいパンフレットもあった。

https://www.lib-iwata-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2016/08/bsinpouin.pdf

上記によれば、3号墓は古墳時代初頭の墓だが弥生時代の墓に似ていることから古墳とは呼ばないことが通例になっているそうだ。

 

3号墓に上がって説明板を振り返ったところ。

 

3号墓墳頂から、弥生期の土坑墓があった方向。

 

土坑墓があったあたり。

弥生人も、台地縁の眺めのいい(或いは周囲から目立つ)立地に、永眠の場を築いていた。

地面の十字はトレンチを埋めた部分の方がしっかり残ったか。

 

そこから振り返っての3号墓。

 

3号墓から見た2号墳。手前側が前方部になる。

 

2号墳の前方部から後円部。

 

2号墳後円部から前方部方向。奥は3号墓。

 

 墳丘裾の小道がついていた。

 

下から見上げる2号墳の後円部。

 

2号墳の後円部の先に尾根道が続き、その先に1号墳と思われる膨らみが。 

 

1号墳(前方後円墳)の後円部か。

 

頂上部の様子。

 

実測図から、前方部があると思われる方向。

 

周囲は樹木が密生していて展望はなかった。

 

前方部の先は斜度がきつくなっている。看板のようなものが見えたのでそこまで近づいてみた。

 

ここまで降りてきてしまったが立入禁止の看板だった。が、逆にそこから下は急斜面で道らしい雰囲気ではなかった。

 

樹木に開いた窓から。木々がなければ尾根上の墳丘は遠くからでも視認できるだろう。

 

降りてきた道を登り返す。

 

木の葉のカーテン越しの2号墳後円部。

 

散策ルートを戻る。

 

新豊院の裏に戻ってきた。木の間から東の方向を望む。