墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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十二社熊野神社とその界隈 東京都新宿区西新宿

前回のつづき。

成子天神社に参拝後、700mほど南西にある十二社(じゅうにそう)熊野神社へも行ってみた。

新宿中央公園に入って、その北辺を西へ向かう。 

 

新宿区立の公園で面積は8.8万ha。

新宿中央公園 - Wikipediaによれば、元は熊野神社の敷地で、戦前には小西六写真工業(現:コニカミノルタ)の工場敷地などになったが、戦後に新宿副都心計画の一環として淀橋浄水場の跡地と併せて公園として整備されたとのこと。園内には「写真工業発祥地記念碑」もある。

 

広場の端に「久遠の像」があった。 

銅板には「この像は江戸城を築いた太田道灌が武蔵野の原で狩をしたときの伝説の一情景であります」と書かかれている。少女が扇子の上で差し出しているのは山吹の枝。

以前、神田川のそばで碑を見た。

日無坂・富士見坂界隈、山吹之里の碑 東京都豊島区高田 - 墳丘からの眺め

 

エコギャラリー新宿。区立の環境学習情報センター&区民ギャラリー。

施設案内 - エコギャラリー新宿

 

その先に十二社熊野神社があった。

 

入口には文化財の説明板。

十二社熊野神社の文化財
熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に、中野長者鈴木九郎が、故郷である紀州熊野の十二所権現をうつし祀ったものと伝えられ、そのためにこのあたりは十二社と呼ばれるようになりました。
また、周辺にはかつて池や滝があり、江戸時代中期より江戸西郊の景勝地として有名でした。
ミニ博物館「十二社熊野神社の文化財」では、熊野神社に伝えられる江戸時代以来の文化財や、かつての十二社の風景などを紹介しています。ぜひご覧ください。

 

参拝客で賑わっていた。

 

現在はコンパクトな境内。

 

境内の西側(上記写真の左側)は崖で、下はバス通り。

 

かつてはここに池があった。広重が名所江戸百景として描いている。

角筈熊野十二社俗称十二そう | 錦絵でたのしむ江戸の名所

角筈熊野十二社俗称十二そうを新しいウィンドウで開きます。

国立国会図書館デジタルコレクションより。

 

バス通りにかかる歩道橋の上から熊野神社入口。

 

歩道橋を渡ると、かつての池を彷彿とさせるような大きな窪み地形があった。

 

魅力的な細道も。

 

地形に沿った斜度で続く階段。

 

同好の方がおられた。

 

振り返ったところ。

 

横道に入ると崩れかけた木造家屋があった。

 

欄干の形が優雅。

 

入口側に回ると・・・

かつて十二社が花街だった頃の名残のようだ。

 

魅力的などんづまり。路地ではなく私有地か。 

 

北側に向かって降りる坂。

 

坂の途中にあった魅力的な居酒屋。食べログにも紹介されていた。

 

坂道を振り返って。外国人観光客を多く見かけたのは宿泊施設があるからだろう。

 

降りた先には広い更地があった。

 

更地の脇で、なぜか板囲いされたお稲荷さん。

 

暗渠跡のような道もあって味わい深い界隈だった。