墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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南下古墳群:D・E・F号墳(大林1号墳) 群馬県北群馬郡吉岡町南下

前回のつづき。

D号墳の説明板。 

南下D号古墳
丘陵南斜面に築かれた古墳だが、墳頂部が著しく削平されているため形状は明らかでない。現存する規模は、径約13m、高さは3m程である。墳丘に葺石や埴輪は確認されていない。
石室は山石と川原石を混用した乱石積で、南西方向に開口する。石室全長約5.63m、玄室幅約1.5m、同高さ約1.5mの規模を有する。羨道と玄室の境には、2,3段に積んだ玄門が存在する。羨道入口付近には、石室を閉じた際の閉塞石が残っている。
古墳の築造年代は、7世紀前半頃と推定される。
平成22年3月 吉岡町教育委員会

 

非常に狭い入口だったので外観のみで。試されているような空気もあったが無理はせず。

毎度のことながら、昇寛さんは中で写真を撮られていた。

吉岡町南下古墳群D号古墳 » 埼群古墳館

 

こちらはE号墳。

 

こちらも詳細な説明板。 

南下E号古墳
本古墳の所在する丘陵は、13,000年程前に相馬山が山体崩壊を起こした際の流山(陣場岩屑流)と考えられている。この丘陵上を中心に付近一帯にはかつて40基を越える古墳が存在し、7世紀代を中心とする一大古墳群を形成していた。現在その数は10基程にまで激減しているが、本古墳から半径約100mの内に7基の古墳が群集し、当時の面影を僅かながらも残している。
本古墳は先の丘陵東南斜面に構築された山寄せ形式のものである。墳形及び規模は、現状で東西約17m、南北約9m、高さ約2mの円墳もしくは方墳と考えられている。墳丘における葺石の有無は不明だが、埴輪片は一片たりとも確認されていない。
石室は、截石切組積の両袖型石室で、南西に向かって開口している。玄室はほぼ完全であるが、羨道部分は天井石を失い側壁も上部を欠いた状態で、大半は土砂で埋没している。石室構造からみて、古墳南面には前庭が存在する可能性が高い。現状での石室規模は、玄室長2.76m、同奥壁幅2.13m、高さは奥壁部分で1.71mである。
石室石材は壁体に二ツ岳噴出の角閃石安山岩を使用し、天井石には硬質の安山岩自然石を用いている。側壁は長方形に加工した石材を四乃至五段に、奥壁は三乃至四段に積み上げ、その大部分に切組の手法を用いている。壁面には10度前後内傾する、所謂転びが見られる。玄室と羨道の境には加工石材を二段積みした精巧な玄門を有している。
本古墳で特筆すべきことは玄門壁面に残った朱線の存在である。これは、截石切組の工法と関連した作業線と考えられるもので、本古墳のほか南下A号墳、富士見村上庄司原4号古墳でのみ確認された極めて例の少ないものである。
古墳の年代は、石室の企画や構造或いは石材の加工法等からみて、7世紀末葉の築造で、南下A号古墳より若干新しい時期のものと考えられる。
平成8年3月31日 吉岡町教育委員会

 

入口はB号墳より低い膝高程度だったが、這いつくばって入った。

 

内部の奥壁。地面に反射した光が入っていて見学しやすかった。

 

精巧に直線的に切った石を隙間無く積んでいる。角に切り込みを入れて、がっちり嵌め込んでいる。素晴らしい仕事。

 

表面には平らに削った跡があった。

 

奥壁から入口側。

 

フラッシュで。

 

上に行くに従って内側に傾けられている。

 

隅も隙間無く積まれている。もう千年経っても変わらないのではないか。

 

古墳の上は高圧線が通っていた。

 

F号墳はA号墳の隣にあるが、正式名称は大林1号墳 。

南下F号古墳
本古墳の正式名称は大林1号古墳だが、他の古墳との関係から便宜上F号古墳と呼んでいる。
墳丘は、丘陵先端近くの南斜面に構築された円墳と推定されるが、南側が道路拡幅工事で削られやや歪んでいる。墳丘に葺石や埴輪の設置があったかは明らかでない。墳丘は、現状で径約21m、高さ約4.5mの規模を有している。道路拡幅工事の際、巨石を除去したとの話が伝わっているので、横穴式石室が設置されていたと考えられる。
古墳の築造年代や副葬品など詳細は明らかでない。
平成22年3月 吉岡町教育委員会

 

残念ながら、墳丘のみで石室は残っていない。

 

道路のあるこちら側に石室があったのか。

 

広場の一隅に大きな鞠のような桃の木があった。

 

 複数のタイプの石室を一度に見学することができるので、石室好きにおすすめの古墳群です(A号墳見学のために事前に吉岡町教育委員会に連絡されると良いかと思います)

 

築造の古い順に並べると下記に。築造時期の違いにより石室の造りも異なっていて面白かったです。

 C号墳(6世紀中頃~後半) 

 D号墳(7世紀前半)

 B号墳(7世紀中頃) 

 A号墳(7世紀末頃)

 E号墳(7世紀末頃でA号墳より少し新しい)

 (F号墳は詳細不明)

 

以上で2017年4月の群馬編は終了。 山梨編に続いて、今年は桜の季節にいい墳行ができました。