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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

小谷古墳 橿原市白橿町 「古墳めぐりと博物館見学ツアー」・4

奈良県の古墳・寺社

前回の沼山古墳から700mほど北西、住宅地脇の山裾が次の目的地だった。 

下の写真の中央、石垣上の鉄線の背後に、露出した石が見えている。

 

急な登りを進むと鉄柵の向こうに開口部があった。 

 

墳丘の土が失われて巨石が現われている。山肌に開けられた穴のようにも見えるが、横穴墓ではなく横穴式石室を持つ円墳(または方墳)

 

その手前に説明板。 

 

急斜面に立つので見上げる位置でしか読めない。

小谷古墳(こたにこふん)
県指定文化財 昭和52年5月20日
この古墳は、貝吹山から北東に延びる尾根の先端に築かれた、前方後円墳を含む八基の古墳群のなかにあり、その東端部に位置します。古墳は、尾根の南斜面に築かれており、墳丘の背面は幅20m・直径50mにわたって半円状に切り取られています。古墳の形状は、封土の大半を失っており不明ですが、円墳あるいは方墳であったと考えられています。墳丘の規模は、30m前後で高さは約8mです。埋葬施設は、巨大な花崗岩の切石を2段に積み上げた両袖式の横穴式石室です。玄室の天井石は1枚からなり、石舞台古墳の天井石よりも巨大なものです。また、石積みの間には漆喰が使用されています。規模は全長約11.6m・玄室長約5m・幅約2.8m・高さ約2.8m、羨道部は長さ約6.45m・幅約1.9m、高さ約1.8mを測ります。玄室の床面は羨道より一段高くなっていますが、これは明日香村の岩屋山古墳と共通する特徴です。玄室には凝灰岩の刳抜式家形石棺が盗掘により蓋が開いた状態で安置されています。棺身は長さ2.4m・幅1.16m・高さ0.82mで、棺蓋は縄掛突起がなく緩やかな傾斜の蒲鉾型を呈するもので、家形石棺の中でも珍しい型式のものです。副葬品は未調査のため不明ですが、石室や石棺の型式・規模から終末期の古墳と考えられています。この古墳の被葬者は、天皇家を含めた有力氏族であったとの見方が有力で、江戸時代には斉明天皇陵に比定されていたこともあります。橿原市教育委員会

 

さらに登ると施錠された入口があった。ツアー以外ではここまで。

 

崖際の細道をおそるおそる進むと、巨石を組んだ石室があった。

 

羨道左右の壁石も一枚岩(一岩塊?)。現代でも、ここに運び上げるのはかなりの困難を伴うだろう。

 

玄室には石棺があった。少しかがみながら羨道を進む。

 

斜めに埋もれた石棺。発掘調査はされていないので傾いている理由はわかっていない。

 

盗掘時に(?)欠けた箇所。

 

内側はきちんと垂直・水平に彫り込まれていた。 

 

周囲の石も2段目の高さが同じ位置で統一されている。

 

 石棺蓋の斜めの峰も一直線。

 

奥から。浅い寄棟のような形になっている。

 

埋まっている様子。 

 

玄門の石も巨大。

 

奥から玄門の左上あたり。この石室も漆喰がよく残っている。

上に一部が写っている天井石の大きさは石舞台を凌ぐ一枚岩と説明板にあったが、全体を撮りそびれてしまった。

石舞台古墳の天井石は77トンある。新幹線のN700系は1両44トンとのことなので、小谷古墳の天井石は新幹線2両分くらいの重さか?

 

2つの直方体を組み上げた奥壁。

 

そこここの角に、きれいな三角の石が嵌めこまれていた。これも現場の技か。

 

笹の根が顔を出したところ。

 

南向きで開口部は日当たり良好、室内もカラッとしていて気持ちのよい”ワンルーム”だった。

 

羨道の側壁と天井は気持ちのいい直角。

 

 大きな三角石も嵌めこまれていた。

 

南側に開口する入口から、南東側の眺め。

 

左をズームすると、丸山古墳の木立が写った。距離は1.25km。

つづく。