前回のつづき。
菖蒲池古墳を見学した後、西に向かい近鉄吉野線を渡って住宅や団地が並ぶ”ニュータウン”エリアに入った。
団地の公園という風情の白橿近隣公園。
公園散策路の石段を上がっていくと、それらしき土盛りが見えてきた。
回り込んでいくと説明板が。
その後ろに開口部があった。
現地の説明板。
沼山古墳
昭和57年に公園整備に伴う発掘調査が実施されました。径約18m・高さ5.5mの円墳で、墳丘の中央に片袖の横穴式石室が南側に開口しています。石室の規模は、玄室が長さ4.95m・幅2.95m、高さ4.25mで、これに長さ4.5m、幅1.8m、高さ1.8mの片袖の羨道がとりつきます。花崗岩の自然石を長手積にし、玄室内は高さ2mまで垂直に積み、それから上は四壁を内傾に積上げています。そのため天井での面積は狭く二枚の天井石で覆っています。玄門部には閉塞石が残っていました。玄室内からは、銀製空玉・ガラス製小玉・トンボ玉・金環などの装身具、心葉形杏葉・辻金具、絞具や革帯金具、鞍金具などの馬具、鉄鏃、鎹、釘などの鉄製品、須恵器・土師器などの土器も出土しています。出土した土器から6世紀後半に築かれた古墳と推定されます。
本古墳は、渡来系の人々が住んだ身狭(むさ:見瀬)に位置し、渡来系の東漢氏の定住していたとされる桧前地域とも隣接しているなど、真弓鑵子塚古墳、乾城古墳、与楽鑵子塚などと同様に玄室平面が正方形に近く、天井が高いドーム型に石積された古墳であることから、これらの人々の墓と思われます。
頑丈な鉄の扉で守られた石室入口。
鍵があれば開きます。
こちらの石室は天井が高い。
橿原市/沼山古墳には高さ5.3mと記されていた。墳丘高が5.5mなので大きな石室を薄めの土で覆っている状態。
上を見上げながら説明を伺う。
左が奥壁、右が側壁。巨石を組み上げている。
特に大きいのは天井石。
フラッシュなしで。
奥壁の石組み。
入口を振り返って。
鍵をかけないと住む人が出そうなほど、しっかりとした空間だった。
墳丘から少し下がったところから南東側・飛鳥の方向の眺め。
落ち葉の南斜面を下る。
墳丘がある丘を麓から。
つづく。