墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

影向寺(ようごうじ)薬師堂 重文・薬師三尊像 「史跡めぐり 古代の橘樹をゆく」ツアー・3

前回のつづき。

一行は影向寺(ようごうじ)に到着。

以下はお寺にあった解説から。

多摩丘陵の台地上に位置する古刹影向寺は、南武蔵では最古の寺院である。その縁起によれば、奈良時代天平12年(740)に聖武天皇の命により行基が開創したと伝えられる。しかし近年の発掘調査により、創建年代は7世紀後半に遡ることが確実となった。約1300年の長い間法燈を伝えてきた影向寺には、その歴史を物語るように、重要文化財である薬師三尊をはじめ多くの文化財が今に伝えられている。

 

薬師堂西側から「无射志国荏原評(むざしのくにのえばらこおり)」と文字が刻まれた瓦が出土している。武蔵以前の无射志の表記で、荏原が郡ではなく評(どちらも読みは、こおり)と記されてることから7世紀後半に遡れるそうだ。

川崎市教育委員会:无射志国荏原評銘文字瓦

7世紀後半ということは奈良時代以前の飛鳥時代白鳳時代)になる。

 

境内で目立っていた八角形の建物は聖徳太子堂。

内部には聖徳太子孝養像(鎌倉後期)が安置されているとのこと。

 

かながわの名木100選に入っている「影向寺の乳イチョウ」には、乳柱を削って汁を飲むと乳が出るようになるという伝説があった。

 

お寺の公式サイトは境内の施設の写真や解説が豊富。 

境内ご案内 | 稲毛薬師 威徳山 影向寺

 

創建当時の堂宇とほぼ同じ位置に建つ薬師堂。

現在の建物は江戸時代中期の元禄7年(1694)に建立で、棟梁の名も橘樹郡稲毛領清沢村(現在の高津区千年)の大工・木嶋長右衛門直政と判っている。

 

以下は前出のお寺のサイトより。

薬師堂の規模は万5間で、寄棟造の茅葺(現在は銅板葺)の屋根をあげ、正面1間に銅板瓦捧葺の向拝を付けています。内部は、前面2間を信徒の入る外陣、後方3間を神聖な空間である内陣、その両側を脇陣とし、特に、内陣・外陣・脇陣の境を中敷居と格子によって厳重に結界するのは中世以来の密教本堂の形式を伝えるもので、薬師堂の大きな特徴です。また、堂の形式・建具・軒などの外観の基本を和様としながらも、柱上部などに禅宗様の意匠を採用しています。

 

この日は、普段は閉じられているお堂の中を特別に見学できた。

外陣の天井。左が内陣になる。

 

格子越しの内陣。格天井の下に、見事な細工・彩色の厨子

 

外陣の天井には弁財天などが描かれていた。

 

梁の上には絵馬が沢山掲げられていた。乳イチョウにあやかった図柄が多かった。

 

こちらは、眼の患いの治癒を祈願する絵馬だそう。

 

川崎市のサイトには2つの解説が記されていた。

川崎市教育委員会:影向寺(薬師堂)

川崎市教育委員会:影向寺薬師堂

 

外陣の床板の並び方が一部斜めになっているという特徴があった。

 

中から見た山門。

 

薬師堂の礎石には再建前の古いもの(創建当初のもの?)が再利用されていた。

 

薬師堂見学のあと、重文の薬師三尊の収蔵庫へ。 

 

こちらも特別拝観。普段は非公開となっている。

 

像高139cmの薬師如来像は、平安期・11世紀後半の名作。

以下はお寺の解説より。

木造 薬師如来両脇侍像 平安時代 宮前区・影向寺
中尊はケヤキ材の一木造。安定感ある大作で、ボリューム感あふれた体躯を持つ。わずかに微笑をたたえ、浅く穏やかに流れる衣文など藤原時代の特徴をもつが、洗練されてはいない地方作の素朴さが見受けられる。日光・月光行菩薩像はサクラ材の一木造で、中尊と比較すると細部の意匠などは異なっている。

 

目元、口元が優しいお顔。螺髪(らほつ)も、よく残っている。

 

詩人の 西脇順三郎 - Wikipediaもここを訪れて螺髪を数えている。直筆の書。

 

薬師如来の右側の月光菩薩

 

他に2体の天部の像、十二神将がおられたが、そちらを撮る余裕はなかった。

二天像・十二神将立像 | 安置堂 | 境内ご案内 | 稲毛薬師 威徳山 影向寺

 

なんと、仏様が林立する堂内を一周することができた。

 

真横からの薬師如来

 

左後ろから。

 

薬師如来の背後には古い仏像の一部が置かれていた。薬師様より古いご本尊の部分である可能性もあるとのこと。

 

右肩のライン。

 

右手側から。

 

こちらは日光菩薩

ちなみに現地の解説で、薬師様がお医者様で日光菩薩が日勤、月光菩薩が夜勤の看護師さんという例えのお話が披露された(薬師寺管主の方から聞かれたそう)

なるほどです。

 

こちらは現地の解説板。

 

影向寺で最後に見学したのが影向石。かつて建っていた三重塔の「心礎」 

隣の瑠璃光殿よりの位置に三重塔が立っていたことが、地下に版築が施されていたことからわかっている。

現地に掲示されていた、趣のある解説文。

影向石
当時のいわれとなった霊石。奈良朝に本寺創建のとき、ここに美しい塔が建てられ、その心礎として使用されました。心礎には仏舎利が納められ、寺院の信仰の中心となります。「影向(ようごう)」とは神仏の憑りますところのことで、寺域は太古より神聖な霊地、神仏のましますところとして、信仰されていたものでしょう。幾星霜をへ、塔が失われた以降、この影向石のくぼみには常に霊水がたたえられて乾くことなく、近隣から眼を患う人々が訪れて、その功験によっていやされました。江戸のはじめ万治年間に薬師堂が火を蒙ると、本尊薬師如来は自ら堂を出でてこの石の上に難をのがれたといわれ、それ以来、栄興あるいは養光の寺名を影向とあらためたと伝えられます。
昭和51年5月吉日 重要文化財保存会

 

この影向石の隣にARアプリを体験できる看板があった。

AReaderというアプリをダウンロードして案内板にかざすと、下のように3D画像が飛び出して見える。

面白いのですが現地体験であれば、原寸大でその場所に再現できる工夫があるとさらに素晴らしいのですが…