墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

黒田記念館(旧東京文化財研究所) by 岡田信一郎 @上野

前々回のつづき。

兵馬俑展を見た折に、東博入口に黒田記念館の案内があったので行ってみた。

その前は何度も通っていたが中に入るのは初めて。

 

道を挟んだ向かいには旧博物館動物園駅の建物が残っている。

博物館動物園駅跡 @上野公園 - 墳丘からの眺め

 

ちなみに写真を撮っていたら中から作業をしているような音が聞こえた。一部ライトが点いているが見えた。特別見学があるかも、と思って検索してみたが見つからなかった。

 

向かいの藝大の門の内側も工事中だった。

 

博物館動物園駅側から見た黒田記念館正面。

 

2階正面のイオニア式柱頭の列柱が見事。

 

柱までカーブしたスクラッチタイルで覆われた手の凝り様。

 

正面扉上のアーチ。明かり窓には「館念記田黒」と書かれた銅板が埋め込まれている。 

 

正面玄関を横から。

 

さらに先の建物の角。煉瓦に補修された部分があった。

 

その奥には背の高い煙突もあった。

 

以下は公式サイト黒田記念館 沿革より。

日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝は、大正13(1924)年に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。これをうけて昭和3(1928)年に竣工したのが黒田記念館です。館内には、遺族の方々から寄贈された遺作を展示して画家を顕彰するために黒田記念室が設けられました。昭和5(1930)年には、同館に美術に関する学術的調査研究と研究資料の収集を目的として、現在の東京文化財研究所の前身である美術研究所が設置され、日本・東洋美術に関する調査研究業務が行われてきました。

 平成12(2000)年の新庁舎の竣工により、東京文化財研究所の全ての業務が新庁舎に移ったのに伴い、黒田記念館が昭和初期における美術館建築(岡田信一郎設計)として貴重なものであることから、創建当初の姿に復することとなりました。そこで、2階部分を中心に改修が行われ、平成13(2001)年9月に開館、平成14(2002)年には国の登録有形文化財となっています。

 平成19(2007)年4月1日には独立行政法人文化財研究所と独立行政法人国立博物館が統合し、新たに独立行政法人国立文化財機構が設置されました。これにともなう組織改編により、黒田記念館は東京国立博物館に移管されました。

 平成24(2012)年4月からは、耐震補強を中心とした改修工事のため閉館していましたが、平成27(2015)年1月2日にリニューアルオープンいたしました。

 

1年前にリニューアルオープンしていた。

今年は次の日曜日(1/17)まで開館だが6/13まで一旦閉館になる。観覧料は無料。

 

アーチの入口の先の階段を上がる(上島珈琲店側からスロープもついている)

 

趣のある階段を2階へ。

 

2階から見た階段。

 

以下は東博のサイトより、部分抜粋。

東京国立博物館 - 展示 黒田記念館 黒田記念館リニューアルオープン

黒田記念館は(中略)東京美術学校教授であった建築家岡田信一郎(1883-1932)の設計により昭和3(1928)年に竣工し、イオニア式列柱を用いスクラッチタイルを貼った外観や、天窓からの自然採光などを特徴としています(中略)

主要作品を集めた特別室が新たに設けられたほか、より充実した環境で黒田清輝の油彩画約130点、デッサン約170点、写生帖などの同館所蔵品をご鑑賞いただけます(作品保護のため、展示替を行います)

 

上記にあるとおり、建物の竣工は1928年で、設計は岡田信一郎(1883~1932)

これまでに結構その作品を見てきた。

鳩山会館(1924)

鳩山会館 @文京区音羽 - 墳丘からの眺め

鎌倉国宝館(1928)

鶴岡八幡宮 鎌倉国宝館 - 墳丘からの眺め

東京藝大・陳列館(1929)

「ダブルインパクト 明治ニッポンの美 ボストン美術館×東京藝術大学 @上野 - 墳丘からの眺め

ニコライ堂(改修:1930))

ニコライ堂(東京復活大聖堂教会) 重要文化財 千代田区神田駿河台 - 墳丘からの眺め

明治生命館(1934:弟の岡田捷五郎が完成)

三菱一号館・明治生命館 (外観のみ) 東京都千代田区丸の内 - 墳丘からの眺め

 

階段を上がって左手がすぐ特別室で、黒田清輝の代表作である「読書」(1891年)、「舞妓」(1893年)、「智・感・情」(1899年)、「湖畔」(1897年)がある。黒田記念館

 

いきなり厳かな大作「智・感・情」が目の前に。

撮影は一部の除いてOK(フラッシュ不可)

 

こちらの「舞妓」も図版で見るより”みずみずしい”印象だった。

 

廊下の反対側には黒田記念室。

 

明るい天井。

 

一点一点じっくり見ることができた。

 

戦災で失われた「昔語り」の写真。

 

そこに描かれた舞妓の下絵が艶かしかった。

 

絶筆の「梅林」

以下解説より。

大正12(1923)年末、黒田は狭心症を発する。翌年春、小康を得、病室としていた麻布笄(こうがい)町の別荘の離れから庭を見て本図を描いたと思われる。主にペインティング・ナイフを用いて描かれ、観る者にさまざまな黒田の内面を思わせる。絶筆となった作品である。

 

ミュージアムショップのところに建築についての解説板があった。

黒田記念館の建築について

黒田記念館は、昭和3年(1928)に竣工。設計者は、当時、東京美術学校教授で建築を担当していた岡田信一郎(1883-1932)でした。岡田は、古今東西の建築様式に精通していたといわれ、和風の歌舞伎座(大正13年)や、古典主義オフィスビルの明治生命館(昭和9年)等、数々の建築で知られています。黒田記念館は上野公園内に建てられた旧東京府美術館(大正15年、現存せず)や旧東京美術学校陳列館(昭和4年、現、東京芸術大学陳列館)とともに岡田信一郎の美術館三部作と呼ばれています。

外部には旧帝国ホテル(大正12年)に使用されて以来、流行したスクラッチタイルが用いられ、正面二階部分にはイオニア式オーダーの列柱がデザインされています、建物内部にも随所に装飾がほどこされ、とくに階段の手すりに見られるアールヌーヴォー風の装飾は、岡田信一郎の弟子で、後に東京美術学校で教鞭をとった建築家金沢庸治(1900-1982)のデザインです。開設当初より黒田清輝の作品が展示されていた二階の黒田記念室は、天窓からの自然採光となっており(現在は人工照明)、当時の美術館建築のありようを今に伝えています。平成14年(2002)に国の登録有形文化財に指定されました。