琵琶湖クルーズは北端に近づいてきた。
船は菅浦(すがうら)へ。
今は県道がついているが後ろには山が迫り、かつては舟しか交通手段がなかった陸の孤島だった。(この場所も含めてクルーズでは、滋賀県文化財保護協会の大沼芳幸氏、辻川哲朗氏による詳しい解説がありましたが、後から検索した情報も頼りにさせていただいています)
100年ほど前に村に伝わる「開かずの箱」を京大の歴史学者が調べたら、鎌倉時代から桃山時代にかけての1200通以上の古文書が出て、小さな村がしっかりと自治を行い、隣村と狭い田畑を巡り比叡山も巻き込んだ戦いをしたりと、したたかに生き抜いてきたことが一気にわかったという。
http://www.city.nagahama.shiga.jp/index.cfm/12,30282,c,html/30282/20130918-173536.pdf
またここには恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱で負けた淳仁天皇が住んだという伝説があり、須賀神社の裏には淳仁天皇の御陵という塚(公式には兵庫県南あわじ市賀集の淡路陵)が残る。神社参拝は今でも土足厳禁。
木々の間からちらりと須賀神社の御供所。
村の境界を示す「四足門」
次の機会には、村を歩いてみたい。
菅浦からは「葛籠尾(つづらお)崎」をぐるりと廻る。このあたり湖底からは古代からの土器が数多く見つかり「湖底遺跡」説もあるが、「祭祀(交通安全?)のために土器を沈めた」とも考えられるのでは、とのお話もあった。
右(南)を見やると竹生島。面積15haで上野公園と日比谷公園の中間の広さ。最高地点は197m、島の西側(写真右側)は琵琶湖最深部で水深104mになる。港は反対の南側にある。
葛籠尾(つづらお)半島を回りこんで、北に進んでいく。
正面が琵琶湖最北端の塩津。左に湖西線の橋脚が並んでいるのが見えるが、この橋の真下に塩津丸山古墳がある。橋脚は古墳を避けて造られている。
『塩津丸山古墳 長浜市西浅井塩津 県史跡
琵琶湖の最北部である塩津湾に向かって伸びる尾根先端部に存在。前方後円墳(21m)を含む古墳群とされるが、現状では円墳の可能性も。年代についても不確定で、まだまだ謎が多い』
下記の写真、正面左右に延びる尾根の上には古保利(こほり)古墳群がある。
『古保利古墳群 長浜市高月町西野ほか 国指定史跡
塩津湾の東岸に沿って伸びる尾根上に営まれた古墳群。8基の前方後円墳と8基の前方後方墳を含み、108基の古墳が累々と営まれた。その大部分が前期から中期に該当するが、尾根斜面には、横穴式石室を採用する後期古墳も営まれた。
西野山古墳は、古保利古墳群中最大の前方後円墳(90m) 墳形から5世紀初頭頃に築造されたと考えられる。小松古墳は、古保利古墳群で最初に築造された首長墓で、墳長60mの前方後円墳。2面の漢式鏡のほか、銅鏃や鉄鏃などが大量の土器とともに出土』
後ろに伊吹山が頭を出している鞍部に西野山古墳がある。
上記の尾根の向こう側は高月の町で、国宝の十一面観音で有名な渡岸寺(向源寺)がある。30年位前に拝観させていただいたが、その衝撃は今でも残っている。下記の方のHPにお写真があった。
http://www.geocities.co.jp/oiwakeok/index.z-kan-sato.html
また、下記の方のHPには尾根状に蟻の行列のように続く古墳の位置が示されている。
古保利古墳群の南端は若宮山古墳。中央やや左の尾根先端の盛り上がり部分。その右は伊吹山。
正面は長浜の町。黒壁や洋館を訪れてみたい。竹生島へ渡る船はここから出る。
奥の横山丘陵(中央煙突のあたりから右へ続く丘)の北端に、長浜茶臼山古墳(前方後円墳、90m、中期、県史跡)、その南に垣籠古墳(前方後円墳、70m、後期、県史跡)がある。
船はさらに南下して米原から彦根に向かう。真正面に彦根城。
ばっちり見えた国宝彦根城。
古墳の遺構は見つかっていないが、築城の過程で削平された可能性もあるとのこと。琵琶湖のランドマークとして目立つ場所なので、ここまで見てくるとかつてそこに古墳があったと、当然のように思える。
彦根城から6km南東の荒神山(こうじんやま)。この位置からだと島のようだが周囲は平野。
この荒神山に滋賀県第2位の古墳がある。
『荒神山古墳 彦根市日夏町ほか 前方後円墳 124m 前期 国史跡
琵琶湖岸に聳える荒神山の山頂から、琵琶湖方面に少し下った地点に築造。琵琶湖を一望にする反面、平野側への眺望は限られる。埴輪・葺石を備え、3段に築かれた県下第2位の墳丘は、琵琶湖の王墓と呼びに相応しい』
まさに湖側から見られることを意識したポジショニング。
さらに10km南東に進み、愛知川河口を越えると、また島のような丘が現れる。
この丘の北の突端に伊崎寺がある。「とび出た棒をよく見て」との解説。
伊崎の棹飛びと呼ばれる、毎年8月1日に比叡山の回峰者による「行」が営まれる場所とのこと。
少し前までは一般人の棹飛びもあったが、今は禁止されている。
伊崎寺の沖合い1kmほどに沖島が浮かぶ。面積1.5km2 の琵琶湖最大の島。淡水湖の有人島(住民約350人)は日本で唯一で、世界的にも非常に珍しいそうだ。
中央右に厳島神社の鳥居。
このあたり3kmほどは島があるので海峡のようになっている。古代の舟は風の影響を大きく受けるので、琵琶湖東岸のルートとして重宝されたとのこと。
島の集落と山裾の奥津島神社。藤原不比等による創建。
沖島全景(左右はつながっている)
この位置からだと観音様が寝ているようでしょ、との解説があった。
沖島から5kmほどの長命寺港。山腹のお寺への石段は808段あるそう。重文の本堂、三重塔や十一面観音、千手観音がある名刹。
長命寺港から西の湖へ続く河口。西の湖は安土山に面しており、この場所は安土城の玄関口だった(安土山は正面の丘の向こう側、ここから直線距離7km)
ちなみに安土山も築城前は古墳群で、大手の下からは横穴式石室が出ているそうだ。
そろそろクルーズも終わり。ピョコンと見えるのは三上山(みかみやま)で、この麓に大岩山古墳群がある。
『大岩山古墳群 野洲市辻町ほか 国指定史跡
野洲川右岸に形成された首長墓系列の古墳群。前期前半の古冨波山古墳(円26m)や冨波遺跡SZ-(方方42m)から後期の宮山2号墳まで、一貫して有力古墳が営まれる。また、近接して大岩山銅鐸出土地も存在する。
大塚山古墳は、特徴的な造出しを有する中期の帆立貝形古墳(75m)で、埴輪と葺石を備える。甲山古墳は、滋賀県最大の横穴式石室を有する円墳(30m)で、阿蘇から運ばれてきた石棺を納め、馬甲などの貴重な遺物が出土。円山古墳も、大型の横穴式石室を有する円墳(34m)で、阿蘇からの石棺とともに、二上山の石棺を納める。その他に天王山古墳(方円49m)が整備されている』
三上山は、この日の早朝に探訪した茶臼山古墳からも見えていた(下の写真・再掲載の左端。これは山の東面で、上の写真は北面)
クルーズは琵琶湖大橋のたもとにある「道の駅びわ湖大橋米プラザ」に立ち寄って終了した。
最初から最後まで、ほとんどずっと解説しっぱなしだった滋賀県文化財保護協会の大沼様、辻川様、誠にありがとうございました。また、ここまで拙ブログを読んでいただいた皆様もありがとうございました。あまりにも膨大な情報量になったので処理しきれず、掲載した写真やコメントも本当に正しいものか自信がありません。誤り等、ご指摘いただけたら幸いです(コメント欄、非公開にもできます)
琵琶湖汽船の方々、関係者の方々、最高のクルーズでした。大変感謝いたします。
ツアーに参加して、古墳が古代交通路のランドマークであったことを改めて認識しました。
次の機会があればぜひ、古墳の方から琵琶湖を眺めてみたいです。