墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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走水神社 神奈川県横須賀市

小網代の森の帰りに、横須賀市の「走水(はしりみず)神社」にお参りした。

御祭神は日本武尊と弟橘媛命。

走水は古事記や日本書記にもあるヤマトタケルの物語の、一つのクライマックスに出てくる場所。下記は神社のHPから転載。

「相模国に進まれて、船で上総国に向かう。海の中ほどまで来ると突然暴風に遭い、途方にくれた時、弟橘媛という妾(つま)が「これはきっと海神の仕業に違いありません。私の身を尊の身代わりに海に入らせてください」と申しあげたとたん海中に身を投じられた。暴風はたちどころに静まり、尊一行は無事上総に渡ることが出来た。時の人は、その海を名付けて馳水(走水)といった。」

http://www12.plala.or.jp/hasirimizujinjya/siryou/index.html

 

岩山の崖に張り付くように社殿があった。

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入り口に「横須賀市風物百選」の案内板がある。

「大和朝廷時代には、上総を経て東北地方に渡る最も便利な道として、この地方に古東海道が通じておりました」とある。f:id:massneko:20140316141016j:plain

【再掲】古東海道は、去年の5月に北区飛鳥山博物館で見たパネルがわかりやすい。

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 境内にはいって石段の手前の鳥居をくぐる。この鳥居は細くて横長の形をしている。

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 石段を上がると社殿。社殿前のスペースがほとんどない。

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 石段の前の小さな広場にある「舵の碑」(昭和50年、国際婦人年を期に建立)

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多くの人が御参りしていた。女性の二人連れが目立った。

本殿から後ろを振り返った眺め。

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 社殿の裏手の崖に掘られた「水神社」 その名の通り水が滲み出ていた。

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 ロシアの機雷が奉納されていた。f:id:massneko:20140316140010j:plain

 弟橘媛命の記念碑の解説板。

「さねさしさがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちてとひしきみはも」

景口40年(110年)の出来事と伝えられているので、1900年以上の時を過ぎても、人の心に響き、この地にも人を集めている歌だ。

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  記念碑のさらに奥の神明社とある鳥居をくぐり、さらに上る。f:id:massneko:20140316140454j:plain

 最も高い場所に「三社」がある。神明社と須賀神社と諏訪神社。

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 そのすぐ近くには、古代稲荷社の跡もある。

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 再び石段を降りて戻ると、河津桜の向こうに青い海が見渡せる。

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 展望台になっていて眺めがよい。神社の正面、上総の方向。

風の強い日で、房総半島は肉眼ではうっすら見えていたが、写真には写らなかった。

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 対岸(の富津岬)の北が木更津。

 

【再掲】昨年5月の写真。木更津の「きみさらずタワー」の2本の塔の上には、日本武尊と弟橘媛命の象が向かい合って立っていた。

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 木更津の地名は、 日本武尊の句「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」の「君さらず」に由来していると言われているそうだ(袖ヶ浦も)

 

横須賀の走水から富津岬までの距離は10キロもない。はるか昔に縄文人が黒曜石を採取しに伊豆から神津島まで航海した距離50キロに比べれば、かなり近い。

春一番とか台風とか急激な天候の変化だったのだろうが、地元の「海の民」でも予想がつかなかったのだろうか。木更津より北にある現在の袖ヶ浦に着物が流れ着いたとしたら、満ち潮のときだったのだろうか。

 

その対岸の、富津や木更津に、千葉の大きな前方後円墳が集中していることはとても興味深い。さらに東京湾の海岸に沿って北東に進み、台地上を印旛沼方向に抜けると、香取の海が広がり、霞ヶ浦の常陸の国に達するが、ルート上には今でも沢山の古墳が連なっている。