前回のつづき。
走水まで来たら観音埼灯台はすぐなので立ち寄った。
駐車場から崖沿いの遊歩道を600m歩く。
海蝕崖には大きな洞窟もあった。
興味深い由来があった。
その先には崖に根を張る逞しい木々。
最後にちょっときつい登りがある。
入場料は一般200円。小学生以下は無料。
チケット売り場のある建物が展示施設にもなっているが撮影不可だった。
屋外に詳細な説明板があった。
市制施行70周年記念 横須賀風物百選 観音埼灯台
明治維新を二年後にひかえた慶応2年(1866)5月、幕府はイギリス、フランス、アメリカ、オランダとの間に改税約定を結びました。その第11条に、灯明台を備えなければならないことがうたってあります。また、各国が提出した灯明台箇所書には、相模国三浦郡三崎及び観音崎が示されてありました。
幕府が倒れ、明治元年(1868)となりましたが、9月17日に灯台の建設が始められました。横須賀製鉄所首長であったフランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーが建設を担当することになりました。横須賀製鉄所で作られたレンガと石灰を使い四角形白塗装の建物とフランス製レンズを備えた灯台が、12月29日に完成しました。そして、翌明治2年1月1日に我が国最初の洋式灯台が光を発しました。
大正12年(1923)6月26日に光源として白熱電燈が用いられるまでは、菜種や落花生の油、パラフィン、石油などが燃料に用いられてきました。
その初代灯台は、大正11年(1922)4月26日の地震により大亀裂を生じました。翌年3月5日に二代目の灯台が改築されましたが、五ヶ月を経た9月1日の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の灯台は、大正14年(1925)6月1日に完成した三代目のものです。
構内の左手に並ぶ句碑が、灯台守の厳しい生活と出船に対する情愛の深さを味わわせてくれます。
・霧いかに深くとも嵐強くとも 高浜虚子
・汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな 初代海上保安庁長官 大久保武雄
横須賀市
初代の起工日が1868年の11月1日だったので、その日が灯台記念日となっている。
もうひとつの説明板。
「燈光会」を検索したら、海上保安庁から委託を受けた灯台の”参観事業”を行う社団法人だった。燈光会が管理する「参観灯台」は全国15ヶ所。
実際に、灯台のことなら何でも情報が揃うサイトだった。
全国200ヶ所近くの灯台のペーパークラフト模型(100分の1がほとんど)の展開図のダウンロードもできる。子どもの夏休み自由研究工作によいのではないか。
さらに「空撮シリーズ」までリンクされていた。灯台「から」の眺めでなく、灯台「を」眺めることを堪能できる。
上記の説明板に観音「埼」とあったので、タイトルの漢字はそちらにしたが、一帯の公園名は、観音「崎」公園となっていた。
下記の方のブログによれば、「海上情報部では明治時代の海軍水路部の頃から海図で採用していた『埼』を用い、国土地理院では前身の陸軍陸地測量部が『崎』を用いていたのをお互いに引き続き使用しているというのが、現状のようです」とあった。
観音埼か観音崎か?・・・見る位置からの違い ( 神奈川県 ) - 空と海が溶けあう町から - Yahoo!ブログ
いよいよ灯台へ。高さは19mある。
「踊り場」に出ると東京湾が見渡せた。右から伸びるのは富津岬。
房総半島が左右一杯に広がる。対岸の富津市までは9kmほど。
古代東海道のルートにあたり、日本武尊の物語で弟橘姫が荒海を鎮めるために入水した場所。弟橘姫はここへ来る途中にあった走水神社に祀られている。
こちらは小笠原航路のフェリーか。 台形の山はマザー牧場のある鹿野山と思われる。
南東方向は東京湾の入口。
何かの施設(跡?)が見えた。
頭の後ろには現役のライト。水面からの高さは56mになり、77,000カンデラ(ロウソク7万7千本分)の明るさで15秒間に2回、35km先まで光を届ける。
内側から。現役の重要な施設を自由に見学できてしまう。
北側の眺め。左の塔は東京海上交通センター。右奥27km先に東京湾アクアラインの海ほたるがあるはずだがこの日は見えなかった。
下に降りて見上げたところ。
小さな灯台だが好立地にあって役に立ち続け、今年で91年目の現役。
降りてから遊歩道を歩いてみた。地層の縞模様の傾斜で急にみえる坂。
原生林の森の中を進む。
その先に第一砲台跡があった。
古代遺跡のような戦争遺構。
舞台のようなスペースが左右にあり、間をトンネルが繋いでいた。正面はトンネルの壁。
古そうな説明板があった。かつて口径24cmの巨砲2門がトンネルの左右にあった。
南側から。
重厚な煉瓦造り。
北側から。
今回は第一砲台跡しか行かなかったが、こちらの方のブログに第二砲台跡のトンネル内の様子が詳しく紹介されていた。
謎のトンネルも。
灯台から見えた謎の遺構も、潜水艦のスクリュー音などをキャッチする海軍の水中聴音所ではないか、と紹介されていた。
遊歩道のそばには江戸期の墓碑が集められた一角があった。
遊歩道から海岸に降りることもできる。
じっと佇むお二人がいらした。
つづく。