墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

妻恋神社 妻恋坂 立爪坂 東京都文京区湯島

前回のつづき。

妻恋坂は、日本武尊と弟橘媛を祀った妻恋神社に由来している。

坂上にある説明板

妻恋坂
大超坂・大潮坂・大長坂・大帳坂と別名を多く持つ坂である。
「新撰東京名所図会」に、「妻恋坂は妻恋神社の前なる坂なり。大超坂とも云ふ。本所霊山寺開基の地にて、開山大超和尚道徳高かりしを以て一にかく唱ふといふ」とある。
この坂が「妻恋坂」と呼ばれるようになったのは、坂の南側にあった霊山寺が明暦の大火(1657年)後浅草に移り、坂の北側に妻恋神社(妻恋稲荷)が旧湯島天神町一丁目あたりから移ってきてからであろう。
文京区教育委員会 平成28年1月

 

説明板の近くから、坂下方向。 

 

くの字に曲ってさらに下っていた。

 

 妻恋神社は坂上に、坂に面してあった。

 

境内から見た鳥居。その前が妻恋坂。

 

鳥居の横に説明板があった。

妻恋神社 湯島3-2-6
祭神は、倉稲魂命・日本武尊・弟橘媛命の三柱である。
江戸時代に当社に伝わった縁起によると、その昔、日本武尊が東征の折、この地へきて倉稲魂命(稲荷神)を祀ったことが起源であるとする。また、日本武尊が三浦半島から房総へ渡る際、大暴風雨に遭い、妃の弟橘媛命が身を海に投げて海神を鎮め、一行を救ったことから、妃を船魂神(海神)として当社に祀ったという。
江戸時代、当社は正一位妻恋稲荷大明神と呼ばれ、多くの参詣人を集めた。また、関東近郊のひとびとの求めに応じて各地に稲荷社を分霊したり、「野狐退散」の祈祷などをおこなったりした。当社は、関東総司とも称したほか、江戸時代後期に作られた「稲荷番付」では行司の筆頭にあり、江戸にあった多くの稲荷社の中でも特別な地位に位置付けられ、高い社格を有した。
文京区教育委員会 平成27年3月

 

拝殿に参拝。 

 

境内には妻恋稲荷神社もあった。

 

公式サイトは「妻恋神社電子版」

http://www.tsumakoi.jp/index.html

 

妻恋坂の中腹から北へ向かう枝道、立爪坂がある。

 

こちらの「東京散歩」さんのサイトにある2003年の写真では、手前側にも階段があるのでスロープ化の工事が行われたのだろう。

http://tokyo-sanpo.my.coocan.jp/a050276.htm

昔は近くにゴミ捨て場があったらしく、芥坂の呼び名もあるそう。

 

坂上から。突き当たりが妻恋坂。

 

そこから振り返った先。台地の端の斜面が顔を出していた。

道は左に直角に曲って続く。

 

あとで調べると、こちらの「東京坂道ゆるラン」さんのサイトに歌川広重の「妻恋ごみ坂の景」が紹介されていて非常に興味深かった。

http://sakamichi.tokyo/?p=2336

 

現地に標柱や説明板はなかった。

つづく。