墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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穴ヶ葉山古墳群1号墳 福岡県築上郡上毛町下唐原

前回のつづきの穴ヶ葉山1号墳。

ちなみに上毛町は「こうげまち」と読みます。

旧上毛郡の地域で、1㎞ほど東を流れる山国川挟んだ対岸の大分県側にある旧下毛(しもげ)郡と合わせて、古代には三毛郡(みけのこおり)があり、後に川を境に上三毛郡と下三毛郡に分けられ、さらに上毛郡・下毛郡となったそうです(Wikipediaより)

このときは9月上旬だったので、まだ藪蚊が多かったです。

 

穴ヶ葉山1号墳の説明板。

穴ヶ葉山1号墳
墳丘
復元された墳丘の平面形は南北41m、東西32m(最大幅6mの周溝を含む)の楕円形に近く、東側に二段、西側に一段の段築が設けられています。墓道は斜面にあるため、西側の山を削り、東側は盛土しています。
出土遺物
石室内部からはガラス玉、耳環が、また墓道及び石室入口の段築からは、祭祀に使用された須恵器の子持器台、甕、壷、坏などが出土しました。
石室と壁画
石室は南側に開口する単室の横穴式石室です。玄室は大きな一枚石で囲まれた平面長方形の箱形です。羨道の両壁・天井には大型の石が3枚ずつ使用されています。
羨道の壁には木の葉文をはじめ、魚、人物、旗、鳥などの線刻画が描かれています。木の葉文は大分・香川・島根・鳥取県などに類例がみられます。

 

実測図部分

 

羨道の側壁に、葉っぱと鳥の線刻画があります。羨道高は1.6m、玄室高は2.2m。

 

子持器台や線刻画の写真も。

「九州の古墳」(吉村靖徳著)によれば、この子持器台(須恵器)は山陰系で、類似の線刻を持つ古墳が山陰地方に多いことから、地域間の交流があったと考えられるそうです。

 

普段は扉が閉まっています。奥まで10m以上。

 

教育委員会の方に鍵を開けていただきました。

 

開いた扉。

 

少し降りると奥まで見通せます。

 

玄室の壁は大きな一枚岩。

 

奥壁に向かって右上。蝙蝠さんお邪魔します。

 

逆側にも蝙蝠が。

 

奥壁を背にして。

 

羨道の壁も巨石。

 

その羨道の壁石の、葉っぱの線刻。かなり大きいです。

 

葉っぱはもう一枚。こちらも大きく、天地60㎝近くあります。

 

葉っぱの先っちょには、虫も描かれています。



上記のすぐ左には、鳥。

 

こちらは羨道の天井に近い部分の石。

 

魚が描かれていました。


大変貴重なものを見させていただきました。

本当にありがとうございました。

2023年9月上旬訪問