西予市から松山へ戻る途中で大洲市の、国重文の数寄屋建築があるという臥龍山荘へ立ち寄りました。
町は、山の中をぐるりと回り込んできた肱川が、緩やかに蛇行する盆地にあります。
最初に大洲神社へ参拝。
神社脇の坂を下ると肱川。
途中右手に臥龍山荘。(駐車場は坂を下りた側にあります)
大洲市のサイトや公式サイトによれば、肱川の淵を「臥龍淵」と名付けたのは大洲藩3代藩主加藤泰恒(1657~1715)で、もとの庭園に吉野の桜や龍田の楓を移植するなどしたものを、明治になって木蝋貿易で成功した豪商の河内寅次郎が老後の余生を過ごすために「臥龍山荘」を築いたのだそう。
平成28年に臥龍院、不老庵、文庫の3棟が国重文に、令和3年には庭園を含む一帯が国の名勝に指定されています。
入館料550円を納めて中へ。
清吹の間(せいすいのま)
敷地は川沿いの崖上に細長く展開。
壱是の間(いっしのま)の縁から、霞月の間(かげつのま)を。
霞月の間。富士山にたなびく霞と、丸窓の月。
振り返った眼前には肱川の流れ。
庭石を辿って、奥の不老庵へ。
不老庵の天井はドームのような竹の網代一枚張り。
窓からの眺め。肱川は左奥から右で大きくカーブして、左手前へ流れています。
茅葺屋根の縁に蚊(刺さないタイプ?)が群れていました。
目の前の川中に大岩(蓬莱山)
最初の建物「臥龍院」のほうへ戻ります。
肱川に降りて、蓬莱山へ。渡ることができます。
蓬莱山側から見た臥龍山荘側は背の高い石垣。
蓬莱山の端から川の上流方向。
この蓬莱山と臥龍山荘の敷地側には、かつては橋がかかっていたようでした。
川岸から見上げた臥龍山荘。
中国(台湾?)からの観光客の団体さんが来ていました。
大洲城や大洲市立博物館、そして街歩きにも惹かれたのですが、夕方の飛行機を予約していたので次の機会としました。