墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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渕ノ尻古墳 鹿児島県出水郡長島町山門野

今回の長島で最後に訪ねたところが、渕ノ尻古墳でした。

長島の南東端、黒之瀬戸海峡の出口側に立地。

 

国道389号から枝道を入って行くと、看板の立つ場所に出ました。

 

その解説。

史跡 渕ノ尻古墳
長島町指定史跡
指定日:昭和60年12月21日
渕ノ尻古墳は、田尻地区字堂ノ上にありますが、この周辺を通称「渕ノ尻」と呼んでいるため「渕ノ尻古墳」と名付けられました。
田尻古墳は、昭和17年、当時田尻小学校長であった飯尾登幾男氏によって発見され、地域の人は「アキバサー」と呼んで信仰の対象としてきました。
発掘調査は昭和60年4月22日から27日まで、県教育庁文化課の戸崎勝洋、牛ノ浜修先生により行われました。調査では県考古学会河口貞徳会長の指導と地主の藪田仲次郎氏の協力を受けました。
渕ノ尻古墳は過去に破壊が進行しており、調査開始の時点で墳丘は失われ、天井石の1枚は奥壁に立てかけられており、羨道部は一部破壊され片側の側壁を残すのみでした。
墳丘は、周辺に礫が散在しないことから長島地区に良くみられる積石塚ではなく封土のよるものと考えられます。玄室は、1.5m前後の正方形に近い形であり、南東に開口しています。床面は奥に1区画、右側にも1区画とっています。左側は現状をとどめませんが右側同様に1区画存在した可能性は高いと思われます。天井石は1枚しかありませんが、元は数枚あったと考えられ、石材は床面をのぞき海岸から運ばれたと考えられます。
調査の結果、この古墳は両袖式で、方形プランの玄室を仕切り石で区画する石障系の横穴石室を有する高塚古墳であることが分かりました。
副葬品は石室内からは1点も出土しませんでしたが、羨道部に近い崖で須恵器の高坏の脚部のかけらが出土しました。
築造時期は長島や阿久根市脇本地区の古墳と比較し、また周辺で見つかった須恵器片の様相から考え、6世紀後半と推定しました。
渕ノ尻古墳は、黒之瀬戸海峡に近い長島の南端にあり、当地方の古代史の研究の上で重要です。
なお、平成27年3月、敷地を公有地とし再整備を行いました。
長島町教育委員会(平成27年3月設置)

 

説明板右の斜面下に石組みが。

 

天井石や側石を見ながら、階段を降りていきます。

 

開口部側から。


説明板も入れて。