墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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三方湖、松尾谷古墳(辺り)、城山古墳(辺り) 福井県三方上中郡若狭町

若狭墳行旅の最終日。

まずは三方湖へ向かいました。海沿いですが閉じているので湖です。

 

本降りでした。

 

9時開館の、福井県年縞博物館に寄る余裕は無かったので、次の機会としました。

信号待ちで、低くたなびく雲が。

 

その近くから、南に伸びる幅広の谷。

 

その後、「若狭町古墳マップ」に載っている松尾谷古墳へ向かいました。

https://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/material/files/group/17/kofun-map.pdf

丘上までの道の終点は、三方地区簡易浄水施設。

 

墳丘は残っていない様子でした。

下記は前出の「若狭町古墳マップ」の松尾谷古墳の解説。

若狭地方では、前方後円墳に先立ち4世紀前半に、全長35mの前方後方墳、松尾谷古墳が丘陵尾根上に造られました。前方後方墳は、初期の大和政権と比較的結びつきが弱いが、下位に位置付けられる場合に採用される古墳の形です。三方周辺の狭い地域を治めた首長の墓と考えられています。

 

マップには、藤井岡古墳・藤井岡三昧古墳の印もありましたが現地ではわからず。

 

その次は小浜線に沿って、ひとつ西側の谷戸へトンネルをくぐって移動して、城山古墳(のそば)へ。

 

電柱の奥の、丘上鉄塔付近が城山古墳のあたりだと思われます。

 

周囲は金網で囲まれていて、登り口はわかりませんでした。

下記は「若狭町古墳マップ」の解説から。

城山古墳(町指定史跡)
脇袋から北へ3㎞離れた鳥羽谷の丘陵上に、城山古墳があります。全長63mの前方後円墳で、5世紀中頃に造られました。上ノ塚古墳に続く若狭の王墓と考えられます。埴輪をめぐらし、葺石を墳丘2段目にのみ施しています。なお、城山古墳の北に位置する三生野(みしょの)遺跡からは、ほぼその頃のものとみられる朝鮮半島の陶質土器が出土しています。

 

検索すると2015年に、じこまさんが(苦労されて)到達された際の貴重なエントリがありました。

https://kofun.dosugoi.net/e1061214.html

 

その後は若狭町歴史文化館に寄り、国道303号で琵琶湖へ出ました。

若狭と琵琶湖の「近さ」を実感。


白鬚神社の鳥居の写真は往路のもの。


白鬚神社のすぐそばに鴨稲荷山古墳がありますが、時間の都合で次の機会としました。

 

2014年に、琵琶湖上の船から古墳を眺めるクルーズツアーに参加したときに、湖側から鳥居を見ました。とても「贅沢」なツアーでした。

 

以上で、2022年11月下旬の若狭墳行レポート完了です。

 

ストックが溜まってしまったので、次からはどこにするか(新しいほうからか古いほうからか)迷っています。