墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

古曽志寺廻田西古墳群・姥ヶ谷古墳群 島根県松江市古曽志町

前回の、古曽志大谷1号墳の後方部から北側の眺め。

手前の木立のうしろに2基の方墳があります。

 

古墳のそばまで降りて。

 

古曽志寺廻田西(こそしてらさこたにし)古墳群の1、2号墳で、もともとこの場にある方墳です。

古曽志寺廻田西古墳群
ここにあるのは、この場所にあった古墳を整備したものです。いずれも方墳と呼ばれる四角い古墳で、来たから1,2号墳と呼びます。古墳とその周辺は芝生でおおってありますが、つくられた当時は土がむき出しの状態だったと思われます。
1号墳は丘陵の上、2号墳は斜面にあり、このような在り方からみると、1号墳が古いと考えられます。

 

方墳とわかる直線の裾。多分1号墳。

 

そこから振り返った南側に古曽志大谷1号墳。

まるでこちら側が陪塚であるかのような位置関係ですが大谷1号墳は移築復元されたもの。地形が古来からのものならば、現在復元古墳がある場所にもかつて古墳があってもよさそうな感じがしました。

 

こちらは大谷1号墳の南側にある野外ステージ。

 

つい先月、シネマジェットフェスで賑わった会場ですね。

【まりこふんライブ出演】『シマネジェットフェス・ヤマタノオロチライジング2022』(10月8日)/島根 – 古墳にコーフン協会

 

舞台からは大谷1号墳の後方部がよく見えました(右上)!

 

ステージの南側には古曽志大谷4号墳の復元移築。

 

復元=1/1模型、です。7世紀に造られた方墳(長方形墳)

古曽志大谷4号墳(模型)
この古墳は、古曽志大谷4号墳の模型です。4号墳は長さ8.8m、幅7mの長方形をした古墳です。山の斜面の土をけずり、その土をすぐ下側に盛ってつくられています。まわりで見つかった土器の特徴から、つくられたのは7世紀の後半と考えられます。古墳時代の最も終わりごろにつくられた古墳の一つと言えます。
古墳の中央からは、死者を納める棺が見つかりました。この棺は、小さな石が火山灰によって固まった「凝灰質礫岩」の板石を組み合わせてつくられています。過去に盗掘を受けたあとがあり、中からは何も見つかりませんでした。棺の大きさは、内側の長さが70㎝、幅が35㎝で、亡くなった人をそのまま納めたにしては小さすぎます。火葬にした骨をつぼに入れ、この中に納めたとも考えられます。

 

墳頂の埋葬区画は数十センチ四方。

 

その近くには、須恵器の窯跡の復元模型も。

 

平安時代(10世紀)のものだそう。

平廻田3号窯(模型)
この窯は、近くで見つかった平廻田3号窯を、もとの姿に復元した模型です。山の斜面を利用してつくられたトンネルような形の窯で「登り窯」と呼ばれます。名前のように火が窯の中をいきおいよく登るため、1000度以上の高い温度でかたい質の土器を焼くことができました。
この窯は、長さ3.7m、幅1.2mという比較的小さなものです。中で見つかった土器の特徴から、つくられたのは10世紀ごろと考えられます。
登り窯で焼かれた、灰色でかたい質の土器は「須恵器」とぼられます。そのつくりかたは5世紀頃に朝鮮半島から伝えられました。いろいろな形のものがありますが、この窯では皿や茶わんのような形をしたものが焼かれました。これらは一度にたくさん焼くために、つみかさねて置かれました。須恵器の使いみちは、はじめは古墳に供えるためなど、特別な場合にかびられましたが、やがて日常の食器として使われるようになっていきました。
3号窯跡の近くにあった1,2号窯跡は、朝日ヶ丘団地県営住宅のそばに、そのままの姿で保存されています。

 

駐車場の北西側丘上には、3つ並ぶ方墳も。

 

手前(南)から奥へ、姥ヶ谷1・2・3号墳。

 

5世紀頃に築かれた方墳で、1号墳からは家形埴輪が出土。

姥ヶ谷古墳群
ここに3つ並んでいるのは、この場所にあった古墳を整備したものです。南側から順に1,2,3号墳と呼びます。いずれも5世紀頃につくられた、方墳という四角い形の古墳です。盛土のくずれを防ぐために表面は芝生でおおってありますが、つくられた当時は土がむき出しの状態だったと思われます。
大きさは3つとも、およそ長さ19m、幅16m、高さ2mあります。このように並べてつくられた古墳としては、出雲地方でもかなり大きなものです。古曽志周辺の首長に次ぐ力をもった人たちの墓だと思われます。
このうち1号墳は、こわされていたので復元したものです。この古墳からは、出雲地方ではめずらしい、家の形をした埴輪が見つかっています。

 

1号墳と2号墳との間。