墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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明通寺 福井県小浜市門前

福井県立若狭歴史博物館には、美しい檜皮葺の三重塔の模型が展示されていました。国宝です。


博物館から車で10分ほどだったので訪ねてみました。

 

松永川の谷戸の最奥部、幽谷の境内。まずは見上げる仁王門。

 

その先は黄葉の参道。

 

階段を上がると、本堂と三重塔。

 

本堂を正面から。

檜皮葺の屋根が、切れ味鋭い感じです。

 

再建された本堂ですが鎌倉時代の築。国宝です。

明通寺(みょうつうじ)
806年、征夷大将軍坂上田村麻口が霊夢の導きにより創建したと伝わります。本堂、三重塔(国宝)は鎌倉時代の木造建造物。平安時代後期作の貴族が帰依した中世密教寺院の様相を今に伝えています。

 

本堂の解説板。

国宝 明通寺本堂
この本堂は正嘉2年(1258)今から700年余前鎌倉時代中期に当寺中興頼禅法印によって再建されたものである。
単層入母屋造で桁行5間(正面14.72m)、梁間6間(側面14.87m)檜皮葺である。内部は梁間6間の中央に菱格子欄間と格子戸の間仕切りを入れて前後を内外陣に分けている。所々に新様式と珍しい手法を施し大陸様式を摂取しながら和様美を具えた優秀な密教建築である。
大正10年6月から解体して大修理を行い、大正12年2月に復元完成。昭和28年新国宝に再指定された。

 

本堂前から見上げる三重塔。

 

階段を上がって見上げて。

 

広い初層屋根ですが、軒下はすっきりしている印象です。

 

パイプオルガンの鍵盤を想起しました。


全容を捉える位置がなかなか見当たらず。

 

塔の前から本堂を。

 

屋根先のカーブが見事。

 

本堂の縁から三重塔をズームして。

それでも、屋根の表側は見えませんでした。

 

その縁から入った本堂内部には、大迫力の仏像が安置されていました。

 

中央に薬師如来、その左右には像高2.5mの降三世明王立像と深沙大将立像。

いずれも藤原時代(平安時代後期)の作で、重要文化財指定。

画像はお寺のサイトで。

幽谷の国宝 - 棡山 明通寺

 

文化財関連も含めた説明板。

真言宗御室派 棡山(ゆずりさん)明通寺
当寺院は、平城天皇の御願寺として、大同元年(806)征夷大将軍坂上田村麻呂公がこのところに前5間、奥6間の本堂を建立し、棡木(ゆずりき)の大木で半丈六の薬師如来坐像に七尺の降三世明王立像、同じく深沙大将立像の三体をつくり安置して、棡山明通寺と名付けた。その後、数年を経て、三重塔、仁王門をはじめ他諸堂次第に完備し、往時に僧房が25坊を数えた。
然しながら、創建後400年の内に三度の火難に遭い、創建当初のものは全て焼失してしまっている。
その後、中興頼禅法印が正嘉2年(1258)現在の本堂、続いて文永7年(1270)三重塔を再建して以来今日に至るあで法灯絶えることなく鎮護国家、済世利民の祈祷場として隆盛を極めている。
指定文化財
国宝 本堂 正嘉2年(1258)鎌倉時代
国宝 三重塔 文永7年(1279)鎌倉時代
国指定重要文化財 薬師如来坐像 藤原時代
国指定重要文化財 降三世明王立像 藤原時代
国指定重要文化財 深沙大将立像 藤原時代
国指定重用文化財 不動明王立像 藤原時代
市指定文化財 仁王門 明和9年(1772)江戸時代
市指定文化財 仁王像 文永元年(1264)鎌倉時代
市指定天然記念物 かやの巨木 推定樹齢五百年以上

 

建物も、仏像も大変素晴らしく感動しました。博物館で三重塔の模型に出会えて幸運でした。

拝観料は500円です。