菅間王塚古墳のあたりから見えていた「皆神山(みなかみやま)」
頂上の標高659mですが、下からの比高差は200mほど。
その南側に岩戸古墳のピンが立っていたので行ってみました。
墳丘は道路沿いでした。
地理院地図を見ると標高約530mで、659mの山頂への中間点あたり。
道路から10mほど上がったところに開口部。階段脇には「岩戸神社」との表示。
階段途中と石室前に注連縄が。
なかなか大きな開口部です。
中に入ると鏡が置かれていて、まさに神社。
参拝して振り返って。
古墳マップでは「南大平古墳3号墳」として紹介されています。墳丘は径18m・高さ6.2mで、石室は全長7.7m、玄室長3.9m・幅2m・高さ2.2mとのこと。
開口部を横から。
墳頂の祠を。
墳頂の背後には登山道(参道)が続いていました。
そのまま車で山頂の熊野出速雄神社(皆神神社)へ。
神社本殿は県宝、仏像は長野市指定文化財、そしてクロサンショウウオの産卵地ということで長野市の天然記念物指定、という説明板。上記の池(ほぼ山頂なのに池)が産卵地なのでしょうか。
隋神門をくぐった先には、攝社の侍従神社(侍従大神)
軒下の彫り物が見事。
その後ろの皆神神社本殿は、室町期の築のようです。
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さらに参道を上がると富士浅間神社。ここが皆神山の頂上のようでした。
神社の北側の眺め。ピラミダルな高妻山、その右に黒姫山(?)
侍従神社の西隣に、なにか気になる芝生のマウントがありました。
そこから望めた北アルプス。左端が鹿島槍ではないでしょうか。そうであれば、その右に、五竜岳、唐松岳、そして白馬岳が写っているはず。
駐車場には皆神山の説明が。
皆神山
皆神山は豊栄のシンボルである、豊栄に住む人々の心のよりどころとなって、地域の発展を祈り、守り続けてきた山である。
標高は679m、まわりが8㎞におよぶ皆神山は今から35万年前に、堆積作用が進行していた長野盆地の一隅に噴出した輝石安山岩の火山である。この溶岩は粘りが強く、流れにくいマグマが地表に上がってきて、冷えて固まって丸みを帯びた山頂と急傾斜の斜面をもつ溶岩円頂丘(溶岩ドーム)となった。中央部のくぼみは噴出した溶岩が地下に逆戻りしたことを示している。この山の安山岩は見た目で鉄分の多い赤石と少ない青石の二種があって、豊栄や松代町内の石仏、墓石に多用され、松代城の石垣にも使用されている。
山頂には3つの峰があって、西の峰、中の峰、東の峰と呼ばれている。かつては各峰にお宮があって(熊野三社権現)、600年前に中の峰に合祀され、現在に至っている。8合目より上の土地は江戸時代まで朱印200石の和合院領であった。かつての呼び名は「群神山」あるいわ「水上山」で、慶長年間からは皆神山となった。
その隣には読みにくくなっていますが「ムー」的な解説もありました。