前回のつづきの、武州白子熊野神社。
境内には大きな富士塚があった。 高さは10mほどか。
以前に「お江戸のお富士さん」というガイドブックを手に東京の富士塚を巡りましたがこんな立派な富士塚があったとは、と思いましたがここは埼玉県和光市でした。
山腹にはいくつも石碑が立っていました。
斜面を巻くように登ります。中腹の拝所と大木。
こちらが墳頂の祠。
墳頂から見た熊野神社拝殿。後ろのマンションは台地上にあります。
三方を斜面が塞ぐタイプのスリバチ地形。
その反対(南東)側を墳頂から。
埼玉県と和光市による熊野神社の解説。
熊野神社
熊野神社は、白子の鎮守さまとして栄えてきた。発祥は不明であるが、社伝によると、およそ一千年前といわれている。
祭神は、伊弉諾尊、健御名方命、速須佐男命、速玉男命、事解男命、倉稲魂命とされ、また境内神社として、冨士嶽神社、国平神社がある。
中世、熊野信仰は、全国的に武士や民衆の間に広まった。熊野那智大社(和歌山県)に伝わる米良文書の中の「武蔵国檀那書立写」には、多くの武蔵武士とともに「しらこ庄賀物助、庄中務丞」の名があり、和光市域の白子に居住していた領主にも、熊野信仰が伝えられていたことがわかる。
平成7年1月 埼玉県 和光市
富士塚と境内広場を挟んだ斜面中腹には神瀧山清龍寺不動院があります。
お寺のほうからは、滝修行者だけが行ける小道が。
さらにこの斜面には膨大な溶岩が積まれた洞窟がありました。
通り抜けられる仕様になっていて、びっくり。
思いもよらぬ体験ができました。開運の御利益も!
神社境内を振り返って。
神社境内の南端の”銀杏の門”。