前回のつづき。
武蔵嵐山駅からは東武東上線上りに乗って4つ目の高坂駅で下車し、グーグルマップに記された、諏訪山・高坂・毛塚の3つの古墳群を歩きました。
初めて降りた高坂駅では駅前にタクシーが停まっていたので、北側の諏訪山古墳群・富士浅間神社まで利用。
鳥居をくぐった境内の先、古墳の上に神社がありました。
南東側から。
現地では円墳と思っていましたが、もとは社殿に向かって右側(南東側)に前方部をもっていた前方後円墳だそうで、残っている後円部の直径は27.1m。5世紀後半から6世紀初め頃の築造で埴輪を有していたそうです。
ということを後で、ふっき~さんのブログで確認しました。
埼玉県東松山市西本宿 富士浅間神社古墳(諏訪山36号墳) | 古墳探訪記
拝殿に参拝して振り返った参道側。
拝殿・本殿がぎりぎりまで建つ墳頂。
墳頂から北側は、木々の向こうに低地が見えた。現在は500mほど先に、都幾川の流れがある。
次に、北西170mにピンが立っている諏訪山37号墳(大塚古墳)へ向かった。
一旦低地側に降りると、人と自転車の散歩道が。
上記の背面側には”遺構”が。
高坂駅から続いているこの遊歩道は、かつては太平洋セメント株式会社と秩父鉱業株式会社の貨物専用路線・5.5㎞の廃線跡で、葛袋(第1採掘場)と高本(第3採掘場)で採掘されていたセメント用原材料の粘土が、昭和30年から約30年間にわたって運ばれていたそうです。
廃線跡から見上げた諏訪山37号墳側。崖上に古墳があるはずですが視認できず、道もなく。
廃線跡沿いに大回り。途中に菜の花に癒されつつ。
500m以上遠回りして 墳丘の南側に出ました。
上記の右の小道を入ってピンのそばに寄りましたが草が茂っていて地表面はわからず。木々の根本が上にあるようなので墳丘の感じはつかめましたが。
”草むら”の周り。
ぶじんさんやぺんさんは、しっかりと斜面の様子を捉えておられました。