2月13日の土曜日の午後に下末吉面の高低差を味わう、外歩きツアーに参加しました。
集合場所の鶴見駅へ向かう途中、乗り換えた大井町駅構内から。
ズームすると、旧大井町変電所建物の妻側が写りました。
https://massneko.hatenablog.com/entry/2015/10/22/183000
線路脇土手の河津桜はまだ咲き始めでした。今頃は葉桜でしょうが、奥に並ぶソメイヨシノが咲きだしますね。
https://massneko.hatenablog.com/entry/2019/03/05/000000
鶴見駅に集合時間の15分前に到着、と思ったら間違えて45分前に着いてしまったので、以前にマークしていた諏訪坂(諏訪山)古墳石棺を、速足で訪ねてみました。
丘陵の縁(下)に沿う道を北北西に向かうと、いい雰囲気の急坂が。
折り返しのところから。
上がり終えて振り返って。
丘上の住宅街の先の斜面が、諏訪坂公園。
斜面の下に石碑が集められた一画がありました。
奥の丘の向こう側の三ツ池公園にも古墳が残っているようですが、ここから徒歩20分かかるので次の機会とした。
石碑群に寄って。
石棺蓋石は、墓石のようなしつらえ。
その左隣に説明板も石碑風。
諏訪坂古墳石棺蓋石と道標
現在の諏訪坂と旧諏訪坂にはさまれた所には、北条氏家臣の諏訪氏の館があり、永禄12年(1569)に武田信玄により滅ぼされたといわれています。
この諏訪館に隣接した場所には、奈良時代のものと思われる古墳があり、そこから文久年間に発掘された石棺蓋の一枚が現在まで保存され、地元の人々が「諏訪馬之助の鎮めの石」と呼んでいるものがこの石です。
また、道標(子育地蔵)は、この地区の古道である寺尾道・末吉道の分岐を示すものとして諏訪坂に設置されていたものです。
鶴見区
説明板地図にある古墳の位置は、現地で調べる余裕が無かったのですが、あとで調べると下記の台地縁あたりのようでした。
稲荷社の横の階段を登って鶴見駅へ急ぎました。