今回からも東京文化財ウィーク2018での建物見学などを。
この日に最初に向かったのは小石川の山﨑家住宅。茗荷谷駅の北側、筑波大学東京キャンパスの近くで、西側に一棟はさんで旧磯野家住宅がある。湯立坂から一本南東側に入った住宅街。
周囲が建てこんだ中に、木造アパートのような外観の建物があった(普段は非公開)
手前の平屋建ても、ひとつながりの住宅。
隣地の塀越しに。
いただいた絵葉書(東京都の文化財のシリーズ)の解説を転載。
国登録有形文化財(建造物) 山﨑家住宅主屋
小石川台地上の閑静な屋敷町に建つ、瀟洒な和館付きの洋館で、大正期の住宅建築の優品として貴重です。施主は、日本における地理学の開祖として知られ、東京帝国大学に地理学科を開設した山﨑直方(なおまさ)です。棟梁を務めた片山清太郎も小石川の住人で、近隣の村川家住宅(文京区指定有形文化財)も手掛けています。
洋館は和洋折衷の様式です。玄関は起り(むくり)屋根に舟肘木(ふなひじき)に蟇股(かえるまた)を備えた社寺風の伝統的な意匠ですが、扉構えは洋風の開き戸で家紋入りのステンドグラスが嵌ります。内部は天井が高く、階段踊り場もステンドグラスで装飾されています。玄関真上にある喫煙室は、造り付けのベンチを備え、ステンドグラスも天井飾りもイスラム風に星形のデザインを取り入れた、非常に珍しいものです。この当時は紳士の嗜みでした。竣工した昭和6年(1917)には、西洋料理店から料理屋ブドウ酒を注文して大勢のお客を招いた記録が残り、当時の社交の様子が伝わってくるようです。
ちなみに上記にある村川家住宅は2年前の東京文化財ウィークで見学させていただいた。
門を入って建物の角の部分を。
平屋との接続部分。
左側面の通路を回って玄関へ。外の板壁は1階が横板、2階が縦板。
門からみて裏の妻側に玄関があった。
格天井の屋根がかかる。ここがかつての車寄せ。
今ではぎりぎりまで別の家が建つ。今はご親族が周りの敷地に住まわれているようだった。玄関屋根の上はベランダで行き来できるようになっていた。
玄関屋根下の蟇股(かえるまた)には家紋。
玄関上の2階には当初からの「喫煙室」が乗る。
靴を脱いで室内へ。玄関扉のステンドグラスも家紋の意匠だそう。
玄関から入った先の廊下。
最初の部屋は周囲が天井まで書棚。見学者は10数名だったが、入れる場所が限られて滞留が多かったので、全体の様子は撮り辛かった。
テーブルには図面や山岳写真が。施主であった山﨑直方(なおまさ)氏は東京帝国大学で地理学科を開設した教授で、北アルプスの氷河地形(山﨑カール)を発見した人でもあるそうだ。
書棚には古い本や資料が並ぶ。百科辞典なども。
奥の部屋の天井。
廊下の奥から和室棟へ入れる。
鴨居にライトが埋め込まれていた。
廊下の書棚にも古い資料や雑誌が並ぶ。現在の当主の山﨑氏は早稲田大学教授で、音響関係の専門とうかがった(記憶違いかもしれません)
玄関から右手に、ステンドグラスが見事な階段スペースが。図案は広瀬尋常という方の手になるそう。
門から玄関へ入ってくる途中に横を通った。
階段を上がって見たステンドグラス。
階段を登って左手が「喫煙室」
こちらが内部。
下には椅子とテーブルが置かれていたはずだが撮り損ねた。
イスラム風の意匠。
上部窓のステンドグラスもイスラム風。
入口扉上の透かしも。
2階の二部屋はまさに時が止まった様子。2階は30年ほど前から使われないままとなっているそうだ。
置いてある小物も、古い映画のためのセットのよう。
側面側の三連窓。
机の上には筒型の蓄音機。
その右側の壁には暖炉が。
隣の部屋からドア越しに。
その、隣の部屋の様子。
電話は”プッシュ”式?
無造作に置かれた絵も。
最初に道路側から見た窓から、静かな光が差し込んでいた。
床は寄木張り。
昭和6年(1931)築の大変貴重な建物だが、建築物だけでなく昭和初期の様子を留めたような室内の空気に心を動かされた。
帰路に通った細道。
マンションの部屋下の階段が通れるようになっていて、湯立坂と連絡していた。
坂側から。
優美なカーブの湯立坂。左の煉瓦の間が階段道。
坂を上がると左手に銅御殿の門がある。
こちらは4年前の東京文化財ウィークで見学させていただいている。